戦後70年余り平和な時代が続きました。細かいところを見れば地域紛争を含め、数々の争いは起きています。しかし、二つの大戦で人々は「懲りた」というのが私の見方。ところがその頃を体験した人がもはや全人口の10%に満たないようになったことで歯止めがかからなくなったようにも思えます。
一方、社会をいかに平静に保つか、それぞれの国家はさまざまな工夫を凝らしてきました。民主主義国家では時間をかけ、偏った権利を補正していったわけです。参政権から始まり、女性の権利、近年ではLGBTQなどマイノリティに焦点が当たります。税の負担や国民の義務、社会のルールやガバナンスも次々と生まれました。
これらは理念や制度としては正しいのですが、その枠組みにどうしてもハマらない人、つまり社会の落ちこぼれを数多く生み出してきたことも事実。それを警察権や司法権で取り締まり、ルール逸脱者や悪を取り締まることが力関係の中で可能でありました。過去形です。今、その取り締まりは追い付いているのか、といえば私は否、と申し上げます。
カリフォルニアでは現在950ドル以下の窃盗は実質無罪です。人の自由度が高まりバイデン氏はより寛容な政策を打ち出したからです。社会の落ちこぼれを見逃す、というよりカリフォルニアの警察がそれ以上取り締まっても鼬ごっこで無益だと考えているからでしょう。
ここバンクーバーでもちょっとした犯罪、例えば車上狙いとか店舗に夜間侵入してモノを盗むといった強盗は割と罰則が緩く、数泊お泊り頂ければその後は無事釈放されます。時として釈放条件に特定エリアに入っていはいけないという制約がつくこともありますが、本人はわかっているのか、まるで関係なしで我が物顔で悪人が戻ってくるのです。
犯人を知っている人にとっては戦々恐々です。「またあいつ、いるぞ!」それを警察に訴えても「でも何も犯罪していないのでしょ。ならば捕まえられないですよ」。車上狙いでも証拠とか現行犯でない限りまず捕まりません。社会がそういう風になってきているのです。