まさに「ここ」を周囲から見られている。「強制でないなら社交の場なんて絶対に出ません!」という人と、「社交の場であれば自分の気持ちはさておき、社会人として参加します」という人にわかれるリトマス試験紙になっているのだ。

社交性のないビジネスマンの低すぎる評価

良くも悪くも仕事は「結果」が全てだ。抜群に仕事ができ、周囲からも一目置かれる優秀なビジネスマンなら、たとえ飲み会に一切行かなくてもデメリットはあまりない。多少、気遣いや社交性ができなくても数人分の仕事を処理できるスキルや、高難易度で他の人ができないスキルが有るなら何も文句は言われない。

実際、そういう人は過去にいた。飲み会の時にも「あの人絶対に飲み会に来ないけど、とんでもなく仕事ができる」みたいに良い噂をされていた。

だが問題はそうでない場合に起きる。受け取っている給与の少なくとも3倍以上粗利を稼ぐか、コスト削減を安定的に貢献できるスキルがなく、おまけに社交の場を拒み続けるケースである。

特に新人の場合は「給与>貢献度」になることが多く、会社もビジネスマンに育てる先行投資として採用している場合は「仕事もできないし、社交もしない取り扱いの面倒な人材」という厳しい見方になる。

そうした評価を受けて若さが消えると、もうその後はチャンスが来なくなる。人間には感情があるので、同じビジネススキルなら付き合いやすい人、会話機会があって信用できる人にベットする。そうなってしまうと、後から巻き返しは難しくなる。最初の段階で飲み会を断り続けると、もうその後は誘われなくなるし、いざ参加しても年齢相応の振る舞いやマナーができないと「この人、全然なってないな」とせっかく参加した飲み会でも評価が落ちてしまうのだ。

世の中は複雑系で、よしんば一人前以下のビジネス貢献度でも周囲の雰囲気を良くしたり、他部署との円滑なコミュニケーションに一役買ってくれるような社交的な人はその部分も評価に入ったりする。仕事は微妙でも飲み会に積極参加して顔を売り、周囲に好かれ、許される人材になれば実力以上の仕事のチャンスを受けたりするのは普通にある。