読み手である一般大衆はそれに振り回されるし、もっと知りたいと思う人は信憑性が怪しいものや一面性だけを捉えた情報に「ほら、こんな話もあるよ」と飛びつき拡散するという流れでしょうか?共同通信社も生稲晃子議員に関して誤報しそれが国際問題にまで飛躍したのは、同社の記者が他社の記者から得たLINE情報をうのみしたのが原因でした。

私が見る現代のSNS構造は個人投稿のSNSにアクセス数を求める中小のメディア会社の影響力が大衆を扇動する流れではないかと感じています。中小メディアとSNSの二人三脚と言ったらよいでしょうか?

もう10年以上前から私は「SNSをやりすぎるとバカになるよ」と申し上げてきました。短文構成の表現には事実誤認をさせ、意図を十分伝えることができず、「『断面の認定』を公開することで社会に参加し、情報をシェアをするという意識」をすべての人に与えると考えるからです。

例えば冒頭の飲食店の料理は見た目という断面だけの話です。では私に「うまかった?」と聞く人がいたら「二度と注文しないと思うよ」という答えが返ってくるとは誰も知らないわけです。味もイマイチだったのですが、それ以上に箸では食べられないのでスプーンですくって食べると海鮮の山が崩れてしまい、見た目が汚くておいしそうにならないのです。

つまり料理を提供された一瞬だけの断面と実際に食した者の意見はまるで違うのですが、SNSでは後者の部分は伝わらないわけです。

オーストラリアで英断とも言える法案が可決しました。16歳以下はSNS禁止です。ただし、使用側の罰則規定はなく、提供側の本人認識の強化ということになっています。もちろん、この禁止がすぐさま100点満点の成果を得ることはなく、試行錯誤を繰り返すと思いますが、オーストラリア政府としてSNSの青少年への影響を深く懸念した結果の判断だと察しています。

SNSをするのに本人確認をするのには二段階確認などの手法により大多数の抑制は出来ると思います。もちろん、VPNなどを使えばどうにかなるという意見もありますが、そこまでして繋がりたいか、といえば多くの人は諦めると思います。SNSは同世代の人たちが読んでくれることで盛り上がるわけでその大きな柱が失われれば自然崩壊するのでしょう。