「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」の類義語

「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」とはどんな意味?
(画像=『FUNDO』より引用)

ここからは「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」の類義語を紹介します。

八歳の翁百歳の童

「八歳の翁百歳の童」は、人間の賢さは年齢には関係がないものだという意味の言葉です。

この言葉は百歳の老人でありながら子供のような人もいれば、七歳の子供でありながらすでに老人のような人もいることを表現したものです。

つまり、人間の賢さに年齢は関係ないことを意味するわけです。
その点が「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」と似ています。

「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」も大人が子供から教わるという逆転現象が起きているため、両者の意味はほぼ同じと言えるでしょう。

愚者も一得

「愚者も一得」は愚かな者でもたまには採るべきいい考え方をするという意味の言葉です。

これは古代中国の書物『史記-淮陰侯伝』にある「智者も千慮に必ず一失あり、愚者も千慮に必ず一得あり」という言葉から来ています。

その意味は「どれほどの賢者でもたくさんの考えの中には失策があり、どれほどの愚者でもたくさんの考えの中には得策がある」となります。

つまり、どんな愚かな者でも名案を生むことがあるという意味となるわけです。

その点が「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」と通ずるものがあります。