ブルハン氏の国軍は、「ハメティ」氏が率いるRSF(即応支援部隊)勢力と激しい戦闘を繰り広げている。この内戦の構図は、日本でもスーダンの事情が報道される際に、まずは言及される点だろう。

だが実は、スーダンの騒乱には、もう一つの大きな要素がある。市民グループと呼ばれる勢力である。その中心にいるのは、ハムドック元首相であるが、市民社会組織の人々も、ウガンダに逃亡して集まっている傾向がある。

長期に渡る独裁政権を運営していたアル・バシール大統領を失脚させた2019年の政変は、市民の抗議活動が中心になって起こったものだった。バシール大統領に近かったRSFは、凄惨な市民の虐殺弾圧を行った。

しかしバシール政権が維持できないと見るや、国軍とともに、クーデターを起こした。その後に軍人と文民が共同で作り上げる主権評議会が出来上がった。その際に「首相」に就任したのが、ハムドック氏であった(ただしより強い権限は主権評議会議長の軍人のブルハン氏が握った)。

「遅れてきた最後のアラブの春」と呼ばれ、スーダンの政変に、期待が寄せられた。2010年末から巻き起こった「アラブの春」のうねりの中で、北アフリカのチュニジア、リビア、エジプト、中東のシリア、イエメンなどで、政変が起こった。結果は、内戦の泥沼でなければ、イスラム原理主義勢力の台頭、さらにそれを封じ込める軍事独裁政権の再登場であった。円滑な民主主義国家の樹立を果たした国はない。

「遅れてきたアラブの春」の実例となるスーダンが、先行例を教訓にしながら、初の成功例を作れるか、が試された。市民組織のリーダーと、軍人のリーダーが、共同で「主権評議会」を形成する仕組みは、教訓を生かした知恵である、と解釈されていた。

だがその期待は、2021年に、主権評議会議長職が初めて文民側に移転される予定になった時期の直前に、ブルハン氏が文民メンバーを主権評議会から追い出すという行為をするに及んで、崩壊した。残った軍人同士が、勢力争いで戦闘を開始したのが、2023年からの内戦である。