一般論では円安が強く望まれている。実際に経済界も円高は困ると言い続けている。しかし冷静に考えると、自国の通貨価値が下がって喜んでいるのは実に奇妙である。それは日本経済が長年に亘って外需依存経済になってしまった証左でもある。
経済界では国債をもっと増刷して公共投資を拡大せよという主張も多い。しかし、日銀はいくらでも紙幣を印刷でき、国家は国債をいくらでも発行できるという乱暴な前提では“ 紙の国のアリス ”になってしまう。価値の裏付けのない紙幣や国債は、いつか紙に還るからである。
リーマンショックからも16年経過他にもいくつか地方創生を実現していなければならない経済的理由がある。
リーマンショックからもうすぐ16年になる。この事件は端的に言えば大都市ニューヨークで生じた金融恐慌であった。他の産業に比べて金融業だけが肥大化したのだから、崩壊もこれから始まるだろうというのは想像できたことである。
予想を超えたのはその伝播の速さであった。それは大金融機関のある都市でまさに電子的スピードで波及し、多くの職を奪った。また株式市場の暴落で400兆円が数日で失われた。
「地方」が防波堤そのため、もともと不況業種であった都会の百貨店は再生の希望を失った。これに対して、相対的にいえば地方の小都市や農業地帯は平穏であった。
1929年の大恐慌のひとつの特徴であった農林不況は、世界中どこにも発生しなかった。むしろ農産物物価は、投機が価格を支配する原油や一部の穀物を除けば安定していた。
その意味で「地方」と呼ばれているところは、破滅的な不況の防波堤にもなることが示された。
東京の暮らしにくさこの事件がもしグローバル経済という「怪物」の所産なら、真にそれに対抗するのは「地方」だということを教えてくれたと考える。
現在でも東京は人の住む場所としては物価が高く、特に住居費は異常に高い。多くの人が都心から、そして最寄りの駅からすらも遠いところにしか住めない。未婚率は日本一であり、少子化が最も進行している都市でもある。さらにサービス産業が多く平均して労働時間が長く、これに長い通勤時間が加わるから働いている人には辛い場所でもある。