■指示書:「はじめに」

指示書はこの章で、先ず「この事件及び全て刑事事件に適用される法律の一般原則を確認」し、次に「起訴された犯罪の定義と適用法を説明」して、「各犯罪の要素を明示した後、陪審員審議のプロセスを概説」するとし、「説明には少なくとも1時間掛る」と述べている。陪審員に読み上げられたその指示書は55頁、原文で1万字(AI邦訳で2.5万字)ある。

次は「裁判所と陪審員の役割」。ここでは「私(判事)が意見を持っているかのような印象を抱いた場合」は「無視するように」要望し、また「声の高さや抑揚が変化する」ことがあるが、それは「法律や事件の事実、被告が有罪か無罪かについて私の意見を伝えるためのものではない」とわざわざ断りを入れている。

こうした「断り」が標準文言なのか、それとも弁護側証人ボブ・コステロの目つきが気に入らないと陪審員を外に出してコステロに説教した、少々変人めくこの判事独自のものかは定かではない。が、続く「証拠を判断するのは私の責任ではなく、あなた方の責任です。事実を判断するのも、被告が有罪か無罪かを決定するのもあなた方の責任です」は決まり文句であろう。

項目は「公正さのリマインダー」「被告に関する限定的指示」と続く。ここでは、陪審員に「被告に有利または不利な個人的意見や偏見を捨て、証拠と法律に基づいてこの事件を公正に判断することに同意」していることを忘れないよう念を押す。次の「判決を考慮せず」では、「審議では量刑や刑罰に関する検討・推測」を戒め、「有罪」の場合に「判決を下すのは私」と陪審制度の原則を述べる。

次の「証拠」「証拠に基づく推論」の要点は、「証拠のみを考慮して事実を判断」するということ。後者では、証拠を評価する際に「証明された事実と、その事実から導き出される推論を考慮する」としている。その推論は「証明された事実のみから自然かつ合理的、論理的に導かれねばならず」、それには「理性、常識、経験に照らし、全ての事実を見て検討しなければならない」とある。

「限定的指示」の項は興味深い。これは「証拠は限定された目的でのみ証拠として認められ、それ以外の目的でその証拠を検討してはならない」との原則だが、検察側証人マイケル・コーエンの証言を例示し、「彼がこれらの証言で有罪を認めた事実」は、あなた方が「本裁判の被告(トランプ)が起訴された犯罪について評決する際、これらを考慮することはできない」と述べている。

「無罪の推定」「立証責任」「合理的な疑い」の3項目は「全ての刑事裁判に適用される法の基本原則」だ。前者は「有罪と判決されるまで被告は無罪と推定される」ことを指す。真ん中は、被告は「自分が無罪であることを証明する必要はない」ということ。後者は被告が起訴された犯罪で「有罪であると合理的な疑いを超えて確信できない場合」、被告は「無罪とされねばならない」ということ。

■「証人の信頼性」

この章では、陪審員が証言の真実性と正確性を判断するための拠り所として、「全部または一部を受け入れる(Falsus in Uno)」「信憑性の要素」「一般的に」「動機」「利益」「利害関係の有無」「過去の犯罪行為」「矛盾する供述」「一貫性」「証人の公判前準備」「身元確認」「法律上の共犯者」の12の項目を挙げて説明する。

大半は常識的な一般論なのだが、「法律上の共犯者」の項目だけは本件訴訟の具体論であり、筆者にはその中身に違和感を覚えた。要旨はこうだ。

マイケル・コーエン証人は被告の共犯者である。米国法は、共犯者が証言の見返りとして利益を受け、または期待している場合、特に共犯者の証言に懸念を抱いている。従って、共犯者の証言が信じられるものであっても、被告とその犯罪の実行とを結びつける裏付け証拠がない限り、被告は共犯者の証言のみによって有罪とされることはない。

裏付け証拠は、それ自体で犯罪が行われたことや被告が有罪であることを証明する必要はない。法律が要求しているのは、共犯者が被告の犯罪への参加について真実を語っていることを合理的に納得させるような形で、被告と起訴された犯罪の実行とを結びつける傾向のある証拠があるということ。

また、コーエン証言とは別に、それ自体は被告と起訴された犯罪の実行を結びつけないものの、共犯者が被告の犯罪への参加について真実を語っており、それによって被告と犯罪の実行を結びつける傾向があることを納得させるような、重要で信じられる証拠があるかどうかを検討することもできる。

周知の通りコーエンはトランプ・オーガニゼーション(「TO」)の元副社長で、トランプの個人弁護士として06年から12年間、「Fixer(揉み消し屋)」の異名をとっていた。法廷でトランプの弁護人は、コーエンが宣誓下で嘘をついたことや連邦犯罪で有罪を認めた事実を指摘し、彼を常習的な嘘つきとして描いた。コーエンが脱税と虚偽の証言で弁護士資格を剥奪され投獄されたことも事実だ。

が、マーチャン判事は、そうした被告側弁護人の戦術を見通したかのように、コーエンとトランプが共謀していたことや、「Falsus in Uno」でも「証人が意図的に虚偽の証言をしたことが判明」した場合、「証言全体を無視することも、その部分は無視し、他の部分については受け入れることができる」ことなどを強調していて、判事として踏み込み過ぎてはいまいか。