天山二郎

さて、「暮れなづむ」は「泥む」で、滞ることを意味するので、なかなか暮れない時間の流れを表している。夕焼けの空が暗くならない中で、遠望すれば、天山が夕暮れの中にくっきりとその姿を浮かべている。

「けさやか」の「け」は接頭語であり、「動詞・形容詞に付いて…の様子だ、…というぐあいだの意を添える」(『基本古語』)。それで、「さやか」(清か・明か)なので、「けさやか」は視覚的にはっきりしたさまを意味する。夕暮れなのだが、遠くの山並みの稜線がまだはっきりと見えるのである。「天山二郎」面目躍如」というところか。

1942年(59歳)

同じ年には、

12.ふるさとに 老姉とはむ よもぎ餅 幼(いとけな)き日の おもかげに立つ

がある。これもまた、幼い頃に姉と一緒に食べた「よもぎ餅」を通して、ふるさとを偲ぶ歌である。

「ふるさと」が「おもかげ」のなかにあり、いまは老いた姉も高田も「幼かった」ころの風景の一コマである。「はむ」は「食む」で、たぶん自家製の餅を一緒に食べたふるさとの春の思い出なのだろう。「よもぎ」も「よもぎ餅」も春を表わす季語である。

1943年(60歳)

そのふるさとにも戦火が近づき、1943(60歳)では

その直前に(函館にて親戚に別る)

13.肉親の きづなしみじみ 思ほゆれ 會うてすなはち 別れ来にける

がある。

本連載ではいずれ北海道旅行中に詠まれた歌も紹介するが、13もまた「北海道旅中吟(五月下旬)」の一首である。『洛北集』では、冒頭に1931年の「北海道への旅」で詠まれた歌が11首、末尾には1938年「北海道旅中吟」として25首が掲載されている。

肉親のきづなで函館で会ったものの、すぐにも別れてしまう。血縁者が函館に出かけた高田に会いにきたのだが、それは直後に別れるためであった。血のつながりをしみじみと感じながら、「會うてすなはち」(会ったその場で)別れることになる無常さが滲んでくる。

これもまた「時代」なのであろう。

(次回につづく)

 

【参照文献】

小西甚一,1969,『基本古語辞典』<改訂版> 大修館書店.
澤宮優・平野恵理子2021,『イラストで見る昭和の消えた仕事図鑑』KADOKAWA.
小学館編集部,2007,『日本歴史大事典』小学館.
高田保馬,1938,『回想記』改造社.
高田保馬,1943,『洛北集』甲鳥書林.
高田保馬博士顕彰会,2004,『社会学・経済学の巨星、世の先覚者 高田保馬』同顕彰会.
吉野浩司・牧野邦昭編,2022,『高田保馬自伝「私の追憶」』佐賀新聞社.

 

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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