故事に由来する「沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり」の類義語
ここからは故事に由来する「沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり」の類義語を紹介します。
禍福は糾える縄の如し
「禍福は糾える縄の如し」は不幸と幸福は糾った(縒り合わせた)縄のように表裏一体であり、一喜一憂しても仕方がないことを表現した慣用句です。
その由来は『史記・南越伝』という古代中国の書物にある「因禍為福、成敗之転、譬若糾纏」という文言にあります。
これは幸福と不幸は撚り合わせた縄のように表裏一体で、不幸が幸福の元になったり幸福が不幸の元となることを表現しています。
その点が「沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり」に通ずるのではないでしょうか。
人間万事塞翁が馬
「人間万事塞翁が馬」は人間の吉凶・禍福は常に変化するもので予測などできないということを表現した慣用句です。
だからこそ安易に喜んだり悲しむべきではないということも意味します。
その由来は古代中国の書物『淮南子-人間訓』の故事に由来します。
その昔、中国の北方の塞に占いの得意な老人(塞翁)が暮らしていました。
ある日、塞翁が飼っていた馬が逃げてしまったので人々が慰めに行くと、塞翁は「これは幸いになるだろう」と言ったとか。
数ヵ月後、今度は逃げた馬は立派な駿馬(足の速い馬)を連れて帰ってきたので人々がお祝いに行くと、塞翁は「これは災いになるだろう」と言ったとか。
さらに塞翁の息子が駿馬から落馬して足の骨を折ってしまった際にも、塞翁は「これは災いではなく幸いになるだろう」と言ったとされています。
その塞翁が予言した通り、1年後に隣国との戦乱が起こったことで若者の大半が戦死したものの、塞翁の息子は足を骨折しているために兵役を免れて命が助かったとされています。
この故事から不幸も幸福も交互にやってくることを例えて「人間万事塞翁が馬」と表現するようになったのだとか。