しかし研究によると、人々は関連性のない「断片的な情報」を素早く消費した後、それらを無意味に感じ、虚無感を覚えることが多いようです。
そしてこの「虚無感」は、さらに別のコンテンツを消費するよう人々を駆り立てます。
では、たとえ「断片的な情報」でも、それらを大量に寄せ集めるなら、私たちは満足できるのでしょうか。
その答えは、ショート動画を1時間もしくは2時間見続けてしまった後の私たちがよく知っています。
その行為に何の意味も見いだせず、ただただ「時間を無駄にしてしまった」と後悔するだけです。
私たちが心から満足するためには、「意味の繋がり」が大切だと分かります。
1つの長編映画や小説、ゲームを最初から最後までじっくり楽しむことで、一貫性のある体験が得られ、そこに満足感が生まれるのです。
さらにそこから様々な考察を楽しむこともあるでしょう。
しかし、現代のデジタルメディアの傾向は、そのような一貫した体験を私たちから引き離しています。
タム氏らの今回の論文は、デジタルメディアが無限の刺激を私たちに提供する一方で、退屈感を強めている理由を説明しています。
ほんの十数年ほど前、私たちは今ほど毎日が退屈ではありませんでした。
1つのゲームを舐めるように楽しみ、クリア後も裏ボスを倒したり図鑑を埋めたりするのに必死でした。
1つの映画を見る間、1つの小説を読む間、私たちはその世界にどっぷりと浸かり、その世界の住人となっていました。見終わったあとも1週間くらい、ずっとその世界のことを考えて、その世界に浸っていられました。
けれど今、私たちはそれが出来ているでしょうか?
私たちはデジタルメディアが溢れる世の中で生活しているからこそ、片っ端からそれらを楽しまないと損してしまうという気持ちに囚われがちです。
しかし、本当に損しているのは、溢れるコンテンツを片っ端から楽しむことなのかもしれません。
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