野球のプレミアム12「日本対台湾」を見ながら、昨年のWBCを思い起こしていた。
私が少年だった遠い遠い昔には、プロスポーツと言えば野球だった。シーズン終了後に、米国のチームが日米親善チームと称して来日し、日本のチームと試合をしていたが、旅行気分の米国チームでも全く歯が立たず、「体力の違い」がどころか、「国力の違い」を感じた記憶がある。
それから、半世紀以上が経ち、昨年のWBCで大谷選手がトラウト選手を三振にとって優勝した。その場面は日本の誇りを取り戻したような気持になったものだ。大谷選手の世界一になりたいという強い気持ちが伝わってきた。
サッカーも野球も「日の丸」を背負って世界と戦っている。オリンピックも世界で戦っているのだが、長期間の戦いの末に勝者が決まるワールド杯には格別な思いがある。試合の前に「君が代」が演奏され、まさに国と国の代表同士が競い合うシーンは「日の丸」を背負った戦いなのだ。
しかし、科学の世界では、医学・医療の世界では、国を背負って研究していると自覚する科学者がどれくらいいるのだろうか?多くの科学者が、「知的好奇心が大切だ」というが、これは個人レベルの課題である。
しかし、科学の発展は、国の将来の命運を握る重要な鍵となると言っても過言ではない。したがって、国策として科学政策を考え、重点分野に予算を注ぎ込み、必要な人材を育ていくことが不可欠だ。競争的資金が重要だというが、国策として重点的に取り組む分野の策定がもっと重要だ。ゲノム研究は遅れたのも国策の失敗だ。情報研究者や人工知能研究者の育成も完璧に遅れてしまった。
そして今、「スタートアップに予算を投入して発展させれば国の経済は発展するはずだ」という愚策が行われている。目利きがいてこそ、これが有効手段となるのだが、評価者が育っていない現状で、十分な施策が実行できるのかどうか疑問だ。