抜本的な政治資金制度改革のため「民間主導の議論の枠組みの創設」を

現行法の枠組みのままで直ちにできる「大穴」の是正策としては、国会議員の政治活動に関連する政治資金の「財布」全体を総括する「国会議員政治資金総括収支報告書」の作成提出を義務付ける制度の導入が考えられる。それによって、国会議員たる政治家が現金で「裏金」を受領した場合に、それがどの団体・政党支部に帰属するものかが不明であっても、その議員に関連する収入である以上、総括報告書に記載しなければならないことになり、「政治資金規正法の大穴」が塞がれることになる(【前掲拙著】)。

そして、抜本的な政治資金制度の改正としては、政治家個人が代表となる「政党支部」を廃止し、政党支部への企業・団体献金という「抜け道」をなくすこと、そして、国会議員の収入を帰属させる政治団体を資金管理団体のみとし、「国会議員の財布」を一元化することだ。

さらに本質的な問題は、今回の問題で露呈したように、自民党派閥や国会議員側に「政治資金の透明性」という、政治倫理として当然の要請に対する認識も、「領収書不要の裏金」に対する抵抗感も希薄だということだ。その大きな原因が、「政治家個人への寄附の禁止」について「政党からの寄附」が除外され、党本部から幹事長等の政治家個人に活動費等の名目で渡った政治資金について収支報告書の公開の対象外となることから、「領収書不要の資金」が事実上許容されていることにある。

前記の池田議員のような「収支報告不要の金と思った」との弁解が出てくるのも、根本的には、現行法に「政治家個人への寄附の禁止の抜け穴」があるからなのである。

政治資金規正法21条の2第2項を削除し、政党からのものも含めて、収支報告書の提出が義務付けられていない「政治家個人」に対する寄附を全面的に禁止することが不可欠である。

これらの抜本改革は、これまで脈々と続いてきた日本の政治風土そのものをも変えることになりかねないものでもある。それだけに、その当事者である国会議員だけに委ねることでは、実効性がある改革を期待することは困難だ。

1966年に設置され、その後、政治資金制度改正の議論の中心となっていた「選挙制度審議会」は、1994年改正では、国会議員は加わらず、形だけのものになり、政治資金規正法の改正の議論は国会議員主導で行われた。そして、その後、選挙制度審議会設置法は今も残っているのに、30年間、「選挙制度審議会」は事実上休眠状態にある。

休眠前までは、政治資金制度の専門家の間での議論も行われ、法律雑誌でも多くの論文が発表されるなどしていたが、その後、政治資金制度の議論は行われることがなくなり、今では法律の世界にも、専門家はほとんどいない。

今回、検察捜査を契機に次々と明らかになる国会議員の裏金問題に対して、国民の怒りが爆発している。それは、「お金」に対する国民の常識と、政治家の認識との間に、いかに大きな乖離があるのかを示すものと言える。

しかし、そのような事態に至っていることの責任は、これまで、政治家による政治資金規正法改正はどうせ「お手盛り」だから「ザル法」だと言いつつ、議論は国会議員に委ね、その「ザル法」の下で繰り返し表面化する「政治とカネ」問題で政治家を批判する、ということを繰り返してき我々国民の側にもある。

昭和30年代から40年代にかけて、健全な民主主義を希求する先人達が積極的に行ってきた「政治資金制度改革に向けての民間での議論」を、今回の問題を機に復活させなければならない。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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