国会議員刑事立件の高いハードル

このように考えると、安倍派側、所属議員側、いずれも国会議員の刑事立件には高いハードルがある。

それなのに、検察が、大規模捜査体制で、年末年始返上で国会議員本人の聴取も含めた捜査を行おうとしている。検察は、「裏金受領議員」の刑事立件を目論んでいるように思えるが、それは、どのような考えによるものなのだろうか。

素朴に思いつくのは、「裏金受領議員」の関連政治団体、政党支部すべて列挙して、「清和政策研究会からの寄附収入を、いずれの収支報告書にも記載しなかった」とする公訴事実での起訴だ。

「どの政治団体の収支報告書にも全く記載していないのだから、不記載罪が成立するのが当然」という世の中の「常識的な見方」からは、一見、合理的なように思える。

しかし、収支報告書不記載罪というのは、個別の政治団体、政党支部ごとに選任され、収支報告書の作成・提出義務を負う会計責任者が、収支報告書に「記載すべき事項」を意図的に記載しないことによって成立する。つまり、どの団体の会計責任者が、どのような事項を記載しなかったのかという、「記載義務違反」を具体的に特定しなければ、政治資金規正法の犯罪事実にならない。「いずれの収支報告書にも記載しなかった」とする公訴事実では、犯罪の主体が特定されない。そのような事実で起訴しても公訴棄却は免れないだろう。

議員本人に不記載罪の刑事責任を問うことができるのは、会計責任者に不記載罪が成立し、議員との「共謀」が認められる場合だ。そこで、何とかして「裏金」の帰属先の政治団体を特定することが必要になる。検察としては、議員側に「裏金を本来帰属させるべきであった団体」を特定させるため秘書や議員本人に特定の団体の収支報告書の訂正を行わせ、それについて、当初から当該収支報告書に記載すべきであったと認める「自白」をとる、という方法も考えられる。

3200万円の裏金受領を認めた池田佳隆衆院議員は、資金管理団体の収支報告書の記載を訂正して、同金額を寄附として記載したようであり、今後、このような「収支報告書の訂正」の動きが拡がるかもしれない。

しかし、「裏金」として受領したものである以上、特定の収支報告書に記載する前提ではないはずであり、記載すること自体が「裏金」との認識と矛盾する。また、検察が帰属を認める「自白」をさせようとしても、国会議員にとっては、罰金刑でも公民権停止で議員失職につながるので、応じる可能性は低いであろう。

上記の池田議員も、収支報告書の訂正について、「(政党からの)政策活動費だと認識して受け取り、政治資金収支報告書には記載していなかった」と説明している。これは、安倍派側から受領した時点で、当該資金管理団体の収支報告書に記載すべきだったと認識していたことを認めたものではなく、要するに、「領収書不要の政党から個人あての寄付と認識しており、収支報告書の記載は全く考えていなかった」という趣旨である。このような説明を通されたら、その裏金について、収支報告書に記載すべきであった団体を特定できないので「収支報告書不記載罪」で起訴することは困難だ。

また、政治家個人として違法に寄附を受けた罪を適用するためには、前記のとおり、当事者双方の自白が必要となる。しかも、罰則は1年以下の禁錮・罰金と軽く、公訴時効は3年であり、時効の起算点が収支報告書提出ではなく、寄附の時点なので、2020年までのパーティー収入に関するものは時効だ。処罰できるのは2年分だけということになる。

検察は「大穴」に気づいていないのか?

捜査のプロである東京地検特捜部が、ザル法の政治資金規正法のど真ん中の大穴に気づかないで捜査に着手したのだろうか?と疑問に思われるかもしれない。

しかし、それは十分にあり得ることだ。

私が、「ザル法のど真ん中に空いた大穴」の問題を指摘し続けてきたのは、検事時代の捜査実務経験によるものだ。

1993年に東京地検特捜部に在籍していた際、ゼネコン汚職事件の捜査で、取調べでの恫喝、威迫、騙しによってストーリー通りの調書に署名させる「暴走捜査」が冤罪を生む構図(後年、同事件を題材に書いたのが推理小説【司法記者】講談社文庫)に反発し、特捜部と決別することになった。それ以降、広島地検特別刑事部長、長崎地検次席検事等として、地方で検察の独自捜査を行ってきたが、そこで最大限に活用したのが政治資金規正法の罰則だった。

そうした捜査の中で、業者から多額の裏献金が政治家にわたった事例で、政治資金収支報告書の不記載罪・虚偽記入罪を適用しようと考えたこともあったが、その都度「ザル法のど真ん中の大穴」に阻まれ、刑事立件を断念したケースが複数ある。

一方、立件できた事件として、2003年の「自民党長崎県連事件」がある。自民党長崎県連の幹事長と事務局長がゼネコン各社から受け取っていた献金について、領収書を交付して収支報告書に記載して処理する「表の献金」と、領収書を交付せずに受領する「裏の献金」が同様の形態で授受されていた。そのため、「裏の献金」も「自民党長崎県連宛ての寄附」であったことの立証が容易だった。

東京地検特捜部が手掛けた事件でも、日歯連事件、坂井隆憲議員事件など、過去に政治資金規正法違反で立件された事件の殆どは、特定の政治団体をめぐる事件であり、資金の帰属先の特定に問題がなかったケースだ。多額の現金の裏金が政治家にわたった事例が、政治資金規正法違反で起訴された例はほとんどない。

それだけに、特捜部側が、「ザル法のど真ん中に空いた大穴」の問題についての認識が希薄だったとしても不思議はない。

「大穴」で処罰を免れた議員は、議員辞職を

合計で数億円が裏金として議員個人にわたっていることが判明したのに、東京地検特捜部の捜査によっても、国会議員がほとんど処罰されなかった場合、国政の世界で多額の裏金を得て、領収書もなく自由に使える状態が恒常化していることに対して、国民の怒りが爆発することは必至だ。

政治資金規正法の目的に著しく反する行為であるのに、それに対して罰則適用ができないのは、企業・団体献金の受け皿としての政党支部を含め、政治家に複数の「財布」の存在を認め、収支報告書の作成・提出を個々の団体の会計責任者に義務付けている現行の政治資金収支報告制度の仕組み自体によって生じている「ザル法のど真ん中の大穴」という構造的な欠陥によるものだ。

そのような「構造的な欠陥」も、もとはと言えば1994年の政治資金規正法の改正の際に、政党助成制度の導入と引き換えに、企業・団体献金を廃止する方向を打ち出したのに、議員個人が代表となる政党支部が企業・団体献金の受け皿となる「抜け道」を認めたことで、「政党支部」と「資金管理団体」という「2つの財布」の存在が、事実上制度化されたことに根本的な問題がある。

そのような政治資金制度による「大穴」を放置してきたのは、主として、与党自民党の責任であり、その中心派閥として政治権力を欲しいままにしてきたのが安倍派である。その安倍派の所属議員が、法目的に著しく反する政治資金の「裏金」を受領しておきながら、自ら作り出した「大穴」によって刑事責任を逃れ、議員の地位のとどまることなど、到底許されることではない。

「裏金」を受領したことを認めた上で、「大穴」によって処罰を免れた場合には、その議員は、政治責任をとって議員辞職し、次期選挙において改めて有権者の信を問うのが当然だ。

政治資金制度改正の歴史

一方で、不透明な裏金のやり取りに厳正に対処できるよう、政治資金規正法の改正が必要であることは言うまでもない。

国会は国の唯一の立法機関である。しかし、国会議員の重大な利害に関わる政治資金規正法・公職選挙法等については、利害関係者である国会議員だけの自主的な議論に委ねているだけでは、実効性のあるルールが作られるわけがない。

政治資金規正法が制定されたのは昭和23年、当初は、「政治資金は国民の民主主義への参加のための浄財」という考え方から、収支の公開が中心で、寄附の「制限」はほとんど規定されていなかった。

その後、昭電疑獄、造船疑獄のほか、黒い霧事件など政界をめぐる事件が多発し、政治腐敗への批判が高まり、昭和30年代に入って、国民の間から政治資金制度改革を求める声が高まったことを受け、1961年に「選挙制度審議会設置法」が制定され、有識者と民間人による審議会の場で政治資金制度改革が議論され、66年には、企業団体献金の禁止等を盛り込んだ「第5次選挙制度審議会答申」が出された。

この頃、長谷部忠、中野好夫、市川房江など、日本を代表する言論人が中心となった「政治資金規正協議会」の提言も行われた。これを受けて、政治資金規正法、公職選挙法改正案が国会に出されたものの、自民党側の消極姿勢もあって審議は進まず、審議未了廃案を繰り返していたところ、昭和40年代末に表面化した「田中金脈問題」での国民の批判の高まりを受けて登場した三木武夫首相の強いリーダーシップによって、1975年に、ようやく「第5次選挙制度審議会答申」に基づく政治資金規正法改正案が成立した。

その直後から、ロッキード事件、ダグラス・グラマン事件等を受けて、政治倫理確立が当時の大平内閣の重要な政治課題になり、民間有識者及び関係閣僚からなる首相諮問機関「航空機疑惑問題等防止対策に関する協議会」が設置され、「政治家個人の政治資金の明朗化」を提言、1980年に政治資金規正法改正案が成立、政治家個人の政治資金の公開のための「指定団体制度」「保有金制度」等が導入されたが、多くの「抜け穴」があり実効性がないものだった。

1980年代末、リクルート事件等で自民党は政権を失い、1994年、細川内閣の連立与党と自民党の合意で「政治改革改革四法」が成立、選挙制度改革・政党助成制度の導入に伴い政治資金規正法の大幅改正が行われた。企業・団体からの寄附の対象を政党(政党支部を含む)と、政治家個人が政治資金の拠出を受けるべき政治団体としての「資金管理団体」に限定(当初は、資金管理団体にも企業・団体からの寄附が年間50万円まで認められていたが、2000年1月1日以降は禁止)され、法違反に関する罰則の強化、有罪確定時の公民権停止規定が導入された。

資金管理団体に指定されると、政治家からの寄附については個別制限の適用をうけないなどの特典があるが、政治家に関連する寄附の入金先が資金管理団体に限定されるわけではない(2008年、「国会議員関係政治団体」に関して、全ての領収書の開示、第三者による監査を義務付ける制度導入されたが、これも国会議員に関する政治資金の収支が複数の団体で行われることを前提にしている)。

こうして、現行の政治資金制度の枠組みが作られたのであるが、その中で、議員個人を代表とする政党支部が企業・団体献金の受け皿となることが認められたことから、国会議員は少なくとも政党支部と資金管理団体という「2つの財布」を持てることになり、それ以外にも「国会議員関係政治団体」がありうるので、「複数の財布」の存在が事実上制度化されている。それが、「政治家個人への裏金」に関する「ザル法の真ん中の大穴」につながっているのである。