現代の感覚からすれば、あまりに無茶な話ですが、そこには手出しできない王子を反省させるためのれっきとした狙いがあったようです。
王子からすれば、鞭打ち少年は一緒に長い時間を過ごす、数少ない友人の一人でした。
そんな友人が自分のミスのせいで鞭打ちを受けるのですから、心を痛めないはずがありません。
この風習の発案者は、友情の心理作用を利用して、王子に反省を促そうとしたのです。
では、その効果はいかほどだったのか、歴史的記録を見てみましょう。
鞭打ち少年に選ばれるのは「出世の第一歩」だった?
鞭打ち少年に関する歴史的記録は少ないものの、いくつかの実例が書き残されています。
例えば、若き日のイングランド王・エドワード6世(1537〜1553)には、バーナビー・フィッツパトリック(Barnaby FitzPatrick)という少年が、体罰の代理人としてつけられていました。
1592年の記録によると、バーナビー少年は幼いエドワード6世が汚い言葉や冒涜的な言葉を吐いたときに、代わりに鞭打ちを受けたといいます。
あまりに可哀想な役割とお思いでしょうが、実は鞭打ち少年に選ばれることは王宮の中で出世するための大きな一歩と捉えられていたのです。
1852年に、著名な作家であったハートリー・コールリッジ(Hartley Coleridge)が、次のような記述を残しています。
「代理で鞭打たれることは、高貴な血筋の者にのみ許された特権だった。下位の貴族らは、我が子がその代理に選ばれることを、名誉の第一歩として切に願っていた」
鞭打ち少年は王族と最も親密な関係にあり、重要な情報を得ることで、より高い地位に就くことができます。
実際、バーナビー少年も王宮で最高の教育を受け、成人後には男爵となり、高名な貴族として生涯を過ごしたそうです。
その一方で、鞭打ち少年の存在が王子に反省を促したという事実に、疑問を抱く専門家は少なくありません。