王子「おい、俺様の代わりに罰を受けろ」
世界史のどの時代を見ても、人々による王族への崇拝には並々ならぬものを感じます。
たいていの王族は、”神の生まれ変わり”とされたり、”平民が触れてはいけない存在”として特別視されてきました。
その中で生まれた奇妙な風習の一つが「鞭打ち少年(whipping boy)」です。
これは中・近世ヨーロッパの王宮に広く見られた慣習で、当時の歪んだ倫理観を知る上でも貴重な史実となります。
現代で同じことをすると一発退場ですが、一体どんな習わしだったのでしょうか?
目次
- 手出しできない王子の代わりに、体罰を受ける代理人
- 鞭打ち少年に選ばれるのは「出世の第一歩」だった?
手出しできない王子の代わりに、体罰を受ける代理人
中・近世ヨーロッパにおいて、王族は「触れることのできない神聖な存在」と見なされ、神によって守られていると考えられていました。
そのため、王やその跡継ぎである王子に手を出すことは重罪であり、ときには死刑になることすらあったのです。
側近が王に手を出すというのはほぼありえませんが、幼い王子には教育的指導をしなければならない場面が必ずあります。
悪さをしても叱らず、甘やかすばかりでは、将来、一国を背負って立つ立派な王にはなれません。
ではそんなとき、手出しできない王子に対して、どのように叱責したのでしょうか?
歴史上、跡継ぎの王子には専属の家庭教師がつき、王に必要な学問を広く教えていました。
王子といえど子供ですから、悪さもしますし、間違いや違反もたびたび犯したことでしょう。
しかし家庭教師の方が位が低いため、叱りたくても、王子には手出しできなかったのです。
そこで用意されたのが「鞭打ち少年(whipping boy)」でした。
鞭打ち少年とは、いわば”体罰の代理人”であり、王子の側で一緒に高度な教育を受けながら、王子が過ちを犯したときには、代わりに鞭打ちなどの体罰を受ける存在を指します。