このように、上記に述べたスターリンの諸政策がソ同盟の驚異的発展をもたらし、第二次世界大戦を経て、後進資本主義国であった帝政ロシアを「米ソ二大大国」へと発展させたことは否めない事実と言えよう。しかし、スターリンには外交問題につき理論的誤謬があった。
すなわち、スターリンは、「第二次世界大戦後、米国は英、仏、独、日などの他の資本主義諸国を十分に従属させているので、資本主義諸国間の戦争を起こさせないし、起こらない」(同書242頁)とのソ同盟共産党同志の意見に対し、明確に反対した。
その理由として、「英国やフランスが帝国主義国である以上は、高利潤獲得のため、安い資源と保障された販売市場を求めて米国と衝突せざるを得ない。ドイツや日本も同じである」(同書243頁)と述べている。
しかし、戦後80年間主要資本主義諸国間の戦争が起こっていないことは争う余地のない事実である。時代的制約とはいえ、この点でスターリンの認識は明らかに誤謬である。これはレーニン『帝国主義論』(レーニン全集22巻)の呪縛であろう。戦後は開発途上国が独立したため、戦前のような「植民地獲得戦争」がなくなったからである。
ただ、スターリンは、1952年4月2日の『プラウダ』で米国新聞編集者の質問に答え、「資本主義と社会主義の平和共存は、もし両者が協力し引き受けた義務を遂行し、平和と内政不干渉の原則が守られるならば、十分に可能です」(スターリン『戦後著作集』260頁)と述べている。米ソの平和共存は1991年のソ連崩壊まで継続した。
現代におけるスターリンの評価本稿は当時のソ同盟の経済的問題に限ってスターリンの諸政策を論じた。個人崇拝、独裁、恐怖政治、粛清、強制収容所、言論弾圧など、負の遺産は数えきれない(ウオルター・ラカー『スターリンとは何だったのか』草思社参照)。もとより現在も厳しく断罪されなければならないであろう。