ところが、スペイン政府はそれを発動しない上に、軍隊も現地に派遣しなかった。しかも、スペイン政府はバレンシア州政府から軍隊の派遣の要請を受けた段階で対応するという受け身の姿勢でいた。
バレンシア州政府が唯一頼りにしていたのは気象庁からの情報で、それによると午後から雨は少し緩やかになるという情報を出していた。ところが気象庁は、午後になって雨量が鎮まるどころか、逆に増加するのを見て予測を変更した。
午後3時すぎになると、一部の地域で川の水が氾濫し始めたのを観察。この時点で、州政府は迅速に軍隊と警察・治安警察の動員を要請し、その活動を許可すべきであった。が、それを行っていない。最終的にスペイン政府からの午後6時49分に洪水警報を受けた時点で、州政府は本格的に始動したというわけである。
例えば、筆者が在住している町から6キロ離れたアルへメシー市は甚大な被害を受けた。ところが、州政府からの洪水警報は一切なかったと同市のサンチス市長が語っている。
政権は政府は社会労働党、州政府は国民党。歯車が合わない即ち、当日の午前10時の段階で、スペイン政府がバレンシア州政府に洪水の危険性ありと伝え、『市民保護の為の緊急プラン』を発動させておれば、迅速に軍隊などをバレンシアとその近郊都市に派遣できていた。ところが、実際に川が氾濫し始めた段階になってもそれを発動していないものだから被害が更に甚大となった。
この対応の遅さから、洪水に襲われて最初の4日間の被災者はバレンシア市内から駆け付けたボランティアの協力で対応しなければならなかった。実際に軍隊や警察は動員された。しかし、その数は2000人にも満たない数であった。75の自治体が被災しているのだ。この少人数の軍隊や警察ではできることにも限界があった。
国王夫妻らの視察は遅すぎたそんな中での国王夫妻とサンチェス首相並びにマソン州知事のパイポルタ市への視察となったのである。被災者はスペイン政府と州政府の対応の遅さを痛烈に感じていた。しかも、5日間が過ぎても両政府からの対応が見えない状態にあった。そのような中での視察であった。だから彼らに向けて罵声を浴びせる被災者が出て来たのであった。