国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)によれば、ロシアの侵略が始まった2022年2月9日から3月8日までの期間、ウクライナにおいて少なくとも29人の子供を含む474人の民間人がロシア軍に殺害されたことが確認されました[CNN]。彼らの殆どは、ロシアが使用した重砲・多連装ロケットシステム・ミサイル・空爆による被害者であり、力による一方的な現状変更の犠牲者に他なりません。米国防総省の発表によれば、ロシアは民間人の犠牲をいとわずに不正確に標的を狙う無誘導爆弾を使用している可能性があります[The Times]。
無実の人間を殺す行為が悪であることは人類共通の道徳としてアプリオリに認識されていますが、国際法違反である一方的な力による現状変更を全世界の衆目の下で行っているロシアの軍人も、当然そのことを認識していながら民間人を殺害しているものと考えられます。彼らは「殺してはいけない」という【義務論 deontology】よりも優先する何らかの考えに従い、「ウクライナの民間人を殺害する行為は合理的である」と判断したものと考えられます。
この記事では「戦争とはそういうものである」という思考停止に陥ることなく、「道徳」と「倫理」の観点から、彼らが無実の民間人を殺す心理状態について考えてみたいと思います。
道徳と倫理
まず考察を行う前に「道徳」と「倫理」という概念について確認しておきたいと思います。
「道徳」と「倫理」はいずれも「すべきである」「すべきでない」という言葉で表現される【規範 norm】です。ここに「すべきである」は【善 goodness】、「すべきでない」は【悪 evilness】にそれぞれ対応します。
まず、【道徳 morality】とは、自分と他者で構成される社会がもつ規範です。
この規範は、私たちが社会で生活する権利である基本的人権を守ってくれます。例えば、「他者を殺してはいけない」「他者の生活を邪魔してはいけない」「他者の所有物を盗んではいけない」「他者をみだりに拘束してはいけない」という規範を社会が共有すれば、自分および他者の生存権・生活権・財産権・自由権がそれぞれ守られることになります。
このような利得を享受するため、私たち人間は、概ね道徳に従って生きています。この価値を共有する人々で構成される社会は【共同体 community】と呼ばれます。逆に言えば、道徳は共同体内部の人間の関係を司る規範であると言えます。さらに言えば、道徳に反する行為を共同体内で犯した人物は何らかの社会的制裁を受けることになります。
一方、【倫理 ethics】とは、社会とは無関係に存在する個人の価値判断に基づく規範です。
個人の価値観は多様なので、その規範である倫理は、個人に固有のものであると言えます。したがって、倫理の持主は基本的に個人であり、構成員の価値観が一致する場合のみにおいて集団が倫理を持つことが可能となります。
ウクライナ攻撃を命令して民間人の生命・生活・財産・自由を奪っているプーチンの侵略行為は、自分が欲する利益を優先させるため、ウクライナ国民の基本的人権を侵害しているので、少なくとも「ウクライナの道徳」に反しています。また、国連総会における非難決議に加盟国の7割超にあたる141か国が賛成(反対は5カ国)したことから「国際社会の道徳」にも概ね反していると言えます。
加えて、世界中の多くの個人が非難しているプーチンの行為は「各個人の倫理」にも反していると言えます。この各個人には、侵略の被害者であるウクライナ国民一人一人をはじめとして、侵略を非難する日米欧などの一般市民、そして侵略反対デモに参加するロシア国民などが含まれています。
民間人を殺す行動原理
このように、プーチンの侵略行為は、一般社会の道徳や多くの個人の倫理に著しく反していることは自明ですが、ウクライナ侵略はけっして止まりません。それは、ロシア軍がプーチンの命令通り、侵略行動を実行しているからです。
たとえ軍人であっても、プライヴェイトでは一般社会の道徳の中で暮らしているため、ウクライナの民間人を殺害する自分たちの侵略行為が一般社会の道徳および多くの個人の倫理から大きく逸脱していること、つまり、道徳的・倫理的判断としては著しく不合理であることを認識しているのは自明です。
にも拘わらず、ロシアの軍人はなぜウクライナの民間人を「殺せる」のでしょうか?
その理由としては、(1)ロシアの国民としてロシアの国益を優先している、(2)一般市民として個人の倫理を追及している、(3)ロシアの軍人としてプーチンの命令に従っているといった行動原理が考えられます。以下、それぞれについて詳しく見ていきたいと思います。