【島根1区、松江市での戦い岸田自民を”討つ”!!】
そして、以下のようにSNS投稿で拡散した。
《故郷島根の人達への私の心からの訴えです。今日の夜12時まで、SNSでの拡散が可能です。島根1区の方々の間で、そして、他地域でも島根1区にお知り合いがいる方、是非、拡散をお願いします。この「島根の戦い」に岸田政権の命運がかかっています。》
この街頭演説では「亀井にしゃべらせろ」の大声もあって、割愛した部分があった。それを、投稿に、以下のように付け加えた。
時間の関係で少し割愛しました。一回目の島根1区の応援演説で、岸田首相は「私は出身がお隣の広島県でして、小さい頃よく連れてきてもらった思い出の場所です」と言いました。岸田首相は、東京生まれ、東京育ち、広島には居住していません。通常は、「広島を選挙区とする」と言い、「広島出身」とは決して言わないのに、島根では、こういうことを平然と言ってのける。それこそ、「岸田首相が、島根を舐めている」端的な証拠です。今回も、「島根人なら自分に勝たせてくれる」と甘いことを考えている。そういう岸田首相が、今日、2回目の島根入り。厚かましく「勝ちに来ている」、島根人として絶対に「ノー」を突き付けてほしい!
岸田氏が「広島出身」というのは、明らかにウソだった。そのウソ話から始まって、「島根を思い出の場所」「偉大な政治家を輩出した地」というような形で組み立てた岸田首相の演説は、あまりに島根人を舐めている、ということを、私の街頭演説の真ん中当たりで強調し、岸田首相に対する不満・反発を一層高めようと考えていた。それを、SNS投稿で追加する程度にせざるを得なかったのは残念だった。
岸田首相、錦織候補の「最終演説会」で最後の演説その日、錦織陣営がSNSで公表していた街頭演説スケジュールによれば、錦織候補は、午後に、岸田首相とともに2か所で街頭演説を行った後、午後6時半から、松江市の中心部の宍道湖温泉駅のロータリーで最後の演説での訴えに臨むことになっていた。
私が宿泊していたホテルがすぐ近くだったので、「最後の街頭演説」の様子を見に行った。
岸田首相来訪ということで、スーツ姿の男性らが数十人かそれ以上いて、会場に集まった市民を誘導したり、歩道での立ち見を制限したり、演説中も鋭い目つきで市民の方を見渡すなど、演説会場の管理を徹底していた。大きな警察犬2頭が会場を歩き回るなど、ものものしい警戒態勢が敷かれていて、聴衆は少なくとも数百人に上っていた。
自民党島根県連会長をはじめ、支援する政治家が次々と挨拶を行っている最中に、岸田首相が黒塗りの車で到着し、大型街宣車の車上に上った。しかし、すぐには講演せず、錦織候補の横に立って手を振っていた。
錦織候補本人の「最後の訴え」は、日に焼けた顔で、声をからし、「郷土のために働きたい」と必死に訴え、立候補表明から日がないなかで、多くの人に支えられて戦い続けてこれたことへの心からの感謝を述べるもので、好印象だった。地元松江北高出身者の錦織氏だけに、島根人の心をとらえる演説だった。
その後に、岸田首相の演説が始まった。普通、選挙戦の最後の演説は候補者本人がやるものだと思うが、現職首相、自民党総裁の応援だからか、「大トリ」は岸田首相、どんな演説をするのか注目したが、全くダメだった。
その直前に私がSNSで投稿していたように、「私は隣の広島の出身」から始まり、「島根は偉大な政治家を輩出してきた地」につなぐというワンパターンだった。内容がなく、集まった聴衆の心に響くものではなかった。岸田首相の2回目の選挙応援での島根入りは、全く逆効果で、錦織氏の票を減らすものでしかなかったように思えた。
翌日の投票日、私は、島根の知人、友人、親戚などの話を聞いたが、さすがの岩盤保守も、今回ばかりは、「裏金問題」による自民党への反発はすさまじく、特に、岸田首相に対するイメージが最悪だと感じた。親戚の一人は、「岸田さんが出てくるとテレビを消す」とまで言っていた。
補選での亀井氏の圧勝を確信したところで午後8時開票速報が始まり、同時に亀井氏に当選確実が出た。
島根1区補選での「惨敗」をどう見るべきか今回の選挙の最終盤、現地にいて強く感じたのは、この選挙で「惨敗」したのは、「錦織候補」でも、「島根の自民党」でもなく、自民党総裁の「岸田首相」だということだ。
ところが、岸田首相には、選挙後の言動を見る限り、その「自覚」は全くないように思える。
現職首相が、公務の合間に特定の選挙区に2回も応援に入る、しかも、最終日の最後の訴えに加わる、通常は、選挙結果に相当な自信がなければ行い得ないことだ。しかし、岸田首相は、それを敢えて行い、結果は惨敗だった。そこに、岸田首相の状況判断能力、戦略的センスの欠如が露骨に表れている。
国内経済情勢、国際情勢も厳しさを増す中、こういう人物が国のトップの首相を務めているという「恐ろしい現実」を、国民全体が共有する必要がある。一日も早く、岸田首相には退陣してもらいたい。
一方の立憲民主党も、今回の島根1区補選の結果を、「立民勝利」と勘違いしてはならない。
島根1区の有権者は、立民の政策を支持したわけでも、その政権獲得に期待したわけでもない。岸田自民に怒り、その自民党と戦ってきた「保守政治家」の亀井亜紀子氏の「自民党との戦い」に期待しただけだ。この点を立民幹部が勘違いすると、次の選挙で「惨敗」するのは立民党ということになりかねない。
それは、今回の補選全体に言えることだ。「立民3勝」というのは、所詮「裏金問題への国民の怒り」という「風頼み」だった。
2021年夏、横浜市長選挙から秋の衆議院総選挙までの流れを想起すべきであろう。
当時、菅義偉首相は、東京五輪優先で、感染拡大のための抜本的な対策を何一つ講ずることができず、神奈川県の一日の新型コロナ新規感染者数が3000人に迫るという感染爆発を引き起こし、提供されるべき医療も提供されない膨大な数の「自宅放置」を生じさせていた。国民の命を危険に晒している菅政権への批判が、横浜市長選挙で、菅首相が全面支援する小此木八郎候補に「強烈な逆風」となり、小此木陣営は、開票を待つまでもなく、選挙での勝利をほとんど諦めざるを得ない状況に追い込まれた。
一方で、立憲民主党が、江田憲司代表代行中心に強引に擁立した山中竹春氏は、横浜市立大学医学部教授であったこと、新型コロナの中和抗体の研究成果の発表を行ったことから、「コロナの専門家」であるとして前面に打ち出す選挙戦略で臨み(山中氏は医師ではなく、臨床研究等の統計処理の専門家であって、コロナ医療あるいは感染症の専門家でもない)、新型コロナ感染急拡大による自民党・菅政権への「逆風」が、そのまま山中氏への「追い風」につながった。「横浜IR反対」で共産党とも共闘した選挙結果は、8時に「山中氏当確」が出る圧勝だった。
地元横浜での市長選挙惨敗は、菅氏にとって強烈な打撃となり、結局、菅首相は、その直後の9月の総裁選への出馬を断念、岸田氏が総裁に選出された。
そして、10月に行われた衆議院総選挙の時点では、山中市長が実は医師ではなかったとわかり、他の経歴詐称等も問題化していた。立憲民主党は、横浜市の小選挙区で一転して逆風に見舞われた。総選挙の結果全体でも大きく議席を減らした結果、枝野幸男代表、福山哲郎幹事長が辞任に追い込まれた。
「風頼み」の選挙で勝ったことを、有権者に支持されて勝ったと勘違いしたことによる咎めは大きなものだった。