私が働いた別の養鶏場では、淘汰そのものを行っておらず、鶏は動けなくなっても、総排泄腔脱で内臓が出て尻周りが血まみれになり苦しんでいても、死ぬまで放置されていました。

話が少しそれてしまいますが、採卵鶏は多くの病気を抱えています。

鶏の祖先は赤色野鶏だと言われています。その赤色野鶏の年間産卵数は数十個ほどにすぎませんが、家畜化された採卵鶏の産卵数は320個です。この不自然な産卵能力は、鶏の体の代謝に負担をかけています。

自分に必要なカルシウムまで卵の殻として排出する採卵鶏では、骨粗鬆症やそれに伴う骨折が一般的で、約30%の死因は、骨粗鬆症に関連しているといわれています。また、産卵能力を強化されたことによる生殖器病変も多いです。

産卵鶏は卵巣癌が多発するため、ヒトの卵巣ガンの研究の実験動物として利用されているほどです。腫瘍が腹腔内転移すると、そこからさらに腹膜炎を併発したり、卵つまりなどの症状を起こしたりします。進行すると腹水がたまり、そうなると鶏は重たい膨らんだ腹を抱えてペンギンのような歩き方をするようになります。

一年間に300個も卵を産むように育種されてきた採卵鶏では総排泄腔脱は一般的な疾患ですが、総排泄腔脱を起こすのは産卵時ですので、これも「育種」が大きな要因です。 ゲノム編集こそ行われていませんが、「育種」は採卵鶏をとても苦しめています。

鶏舎の中ではこれらの病気に苦しむ鶏を毎日見ました。立つことができなくなり、ケージの中でうずくまっている鶏を何度もみかけました。ひっくり返ったままで立てなくなっている鶏もいました。

ケージ飼育の鶏は平飼いの鶏と違って怯えやすいのが特徴です。刺激になれていないためです。ケージの鶏に近づくと、鶏は怖がって狭いケージの中で暴れます。でも骨折などで動くことができなくなった鶏たちは逃げることができません。私が近づくと動けないまま首だけきょろきょろと動かし、眼を見開いて怯えたような様子をみせました。

立つことができなくなった鶏たちは、首を伸ばして餌や水を得ようと首を伸ばして何度も試みていました。でも餌の入っている飼槽まで届くことはなかなかできないし、飲水ピックは上部にあるので立ち上がらないと届きません。しだいに日数がたち衰弱が進むと、餌や水を得ようとするそぶりも見せなくなりました。

衰弱しても、鶏たちはすぐには死ぬことができません。そして死ぬ間際まで鶏は意識を保っています。餌や水を得ることができない状態でも、金網の上に体を横たえワクモ(鶏の血を吸う虫で、採卵養鶏場での湿潤率85%という調査もあります)に血を吸われながら何日も生きます。

内臓脱出(総排泄腔脱)を起こした鶏たちはもう座ることができませんでした。座ると総排泄腔から飛び出した内臓がこすれてしまうからです。脱出を起こしてペンギンのような姿勢で目を閉じてじっとしている鶏も何度もみかけました。人間は痛みに耐えるとき眉間にしわを寄せて目をつぶりますが、それと全く同じ表情をしていました。羽を逆立て背中を丸めて目をつぶってうなだれている姿は、信じがたい痛みを味わっていることを表していました。強度の脱出を起こした鶏は例外なく死んでいきましたが、その鶏たちもすぐには死ねず、死ぬまで何日も苦しみました。

ケージの中で瀕死の鶏が死んでいく様子も何度か目の当たりにしました。

ある鶏は飼槽の下から顔を出し、金網の床に横たわったまま弱弱しく口をあけてあえいでいました。しばらくすると空気が足りないかのように大きく口を開けてあえぐようになり、そのうち体全体を大きく何度か痙攣させました。その間ワクモに血を吸われ貧血でくすみ白っぽくなったトサカの上をワクモがはって歩いていました。痙攣を2分ほど繰り返したあと、薄目を開けたまま動かなくなりました。

死んでしまった鶏をケージから取り出すと、産まれてから一度も砂浴びすることができなかった体は薄茶色に汚れぱさぱさしており、爪は2cm近く伸びていました。総排泄口からは内臓が脱出し血を流しており、抱き上げた体はとても小さく軽かったので、何日も餌を食べていなかったことが分かりました。

私はそういった鶏たちを見て、死体を使って頸椎脱臼(脊柱を頭蓋骨から脱臼させ脊髄を切断することで死に至らしめる方法)の勉強をはじめました。頸椎脱臼は安楽ではありませんが、日本の養鶏場の中でできる唯一の殺処分方法です。死ぬまで放置したり、生きたままで二階から落としたりレンダリング工場に出したりしてはいけないと思いました。

養鶏場では一羽ごとの治療は行われません。そのようなコストを養鶏業は想定していません。卵の安さを考えると、一羽一羽にそのようなケアをすれば大赤字になってしまいます。ですので苦しむ鶏に対してできる唯一の方法は殺処分のみになります。

繰り返しになりますが、頸椎脱臼は安楽死ではありません。意識を即時喪失させることができるのは1割に過ぎないとも言われています。安楽死をするなら、鎮静剤、麻酔剤のちの致死剤という手順を踏む必要があります。その方法を提案したこともありましたが、コストがかかって無理だといわれました。殺し方の配慮をするような余分なコストはかけられないというのは養鶏産業の一般的な考えだと思います。

頸椎脱臼は安楽ではありません。しかし何日も苦しませ続けたり、生きたままでレンダリングに出したりするのは論外でした。快適な環境に移してケアをしてやることができないのであれば、安楽死ではない頸椎脱臼であっても、できるだけ早く殺すのが最善の選択だと私は思いました。

このようなことまで書いたのは、ニワトリが安楽死すらしてもらえない最底辺のところで苦しんでいるということを知らせたかったからです。今の工場型養鶏では、鶏が一羽一羽ケアされるということはありません。命への感謝というものもそこにはありません。あるのは搾取だけです。

私は卵を買うとき、必ず平飼いを買います。ただ、今の平飼いも工場型のところが多く、ウィンドウレスで陽の光も見えず、床は金網で過密飼育という「平飼い卵」も少なくありません。そのため飼育方法が明らかになっているところのものを選んで購入します。1個100円ほどですが、高いとは思えません。これを高いと感じてしまう社会が、今の鶏の現状に繋がっているのだと思います。

泉 史子 2011年の東北大震災で畜産動物の被災状況を知り、動物の権利や家畜福祉(アニマルウェルフェア)について考えるようになりました。畜産現場の動物の状況を伝えたいという気持ちと、畜産動物の苦痛をすこしでも軽減したいという思いで、これまで複数の畜産施設で働いています。