床になにかあるのではないかと探すように頭を伏せて床の金網をあちこち見ている鶏や、床の金網越しにその下にたまった鶏糞を突こうとする鶏もいました。飼槽の餌をずっとつつき続けている鶏もいましたが、実際に食べているのではなく、つついているだけです。

佐藤衆介氏の書いた「アニマルウェルフェア」という本には「他に何もすることが無いケージ飼育では摂食時間が有意に長かった。しかし摂食時間のうち30~50%は餌の摂食をともなわない、偽摂食行動(食べる真似)である」と書かれています。

飼槽に頭を入れている鶏が何をしているのかみていると、餌ではなく飼槽についている斑点や汚れを突いていました。何もないケージの中で生きる楽しみを見つけようと鶏たちは努力を続けているように見えました。その努力はと殺される日まで続きます。

飼槽の餌をつついて砂浴びの真似事もしていました。餌を砂や土と考えてそうするのでしょう。飼槽に首を伸ばして餌を自分のほうにくちばしで掻きよせるような仕草をして、羽を膨らませて砂や土を羽の間にとりこもうとするように金網の床に体を横たわらせてバタバタします。そんなことをしても体はきれいになりませんが、繰り返し繰り返しその行動をしていました。

ケージの天井は低く、鶏は体を伸ばすこともできない状況で、毎日見ていると鶏が感じる圧迫感が伝わってきます。鶏は高さ56cmまで活動するといわれていますが、ケージの高さは一番低いところで40cm、高いところで45cmしかありませんでした。

高さに差があるのはケージが傾いているためですが、傾いた床の上での生活がどれだけ鶏を苦しめているかは、毎日観察しているとよくわかりました。

鶏たちはつま先に力を入れて足を踏ん張るようにして斜めの床の上に立っていましたし、じっと立っていると足が滑っていくこともありました。歩くときはバランスが悪そうに足を滑らせながら歩いていました。斜めに傾いた床の上で、過ごしにくそうに足元の金網をつかみ、その趾の爪が2センチ近くも伸び切っているのを見ると何とも言えない気持ちになりました。

土の上を歩きまわることができれば、こんな風に爪は伸びません。ケージから死んだ鶏を取り出す時に、伸び切った爪が床の金網に絡まって、なかなか取り出すことができないこともありました。

私が働いた養鶏場のうち、1社は開放型鶏舎(窓がある鶏舎)で、2社はウィンドウレス鶏舎(窓がない鶏舎)でした。「強い農業づくり」などの畜産補助事業では、鶏舎補助は防疫の観点からウィンドウレスに限るなどとされています。しかしわたしはウィンドウレスが防疫に有効だと思いません。

わたしがウィンドウレス鶏舎の中に入って初めに思ったのは「マスクがないと居られない」ということでした。粉塵がウインドウレスの鶏舎の中には充満していました。はじめの数日は頭痛がし、窓がなく換気扇だけで空気を循環させている鶏舎の中はこんなにも埃っぽいのかとおどろきました。細かい脂粉や羽毛が空中を舞い、粉塵に混じった浮遊細菌のせいか、マスクを外すと顔がかゆくなりました。鶏舎の中では皆マスクをしており、喉を傷めている従業員が多いということでした。

人はマスクをすればいいですが、鶏はできません。とくに鶏にとって空気は重大な問題です。鳥類は酸素を効率よく取り込むために、肺の9倍もある気嚢を持っています。その気嚢は全身に広がっており、体重あたりの酸素要求率も、豚や牛と比べると3倍以上です。作業者は仕事中だけマスクをして鶏舎に入れば良いですが、鶏はここで毎日1年半ほども過ごします。健康な状態でいられるような空気とは思えませんでした。

大手養鶏グループの農場は12鶏舎120万羽を飼養する巨大なウィンドウレス農場でしたが、家畜保健衛生所の検査で、すべての鶏舎からサルモネラ菌が検出されました。2022-2023年にかけて鳥インフルエンザで1700万羽をこえる鶏が殺処分されましたが、多くはウィンドウレス鶏舎です。ウィンドウレスでも小動物はどこからでも入ってきます。鳥インフルエンザウィルスを媒介するネズミも鶏舎の中を走り回っており、粘着シートがあちこちにおかれ、殺鼠剤がしつこく撒かれましたが、まったく効果はありませんでした。

ケージ飼育=衛生的だという話も時々聞きます。しかし私にはそうとも思えませんでした。集卵ベルトから集卵室に流れてくる卵は、糞や割れた卵の黄身や、総排泄腔脱(総排泄腔からの内臓脱出)を起こしたニワトリの血やワクモ(鶏舎に生息する寄生虫)で汚れていました。食卓の卵がきれいに見えるのは、汚れた卵がGPセンター(卵の洗浄・パック詰めを行う工場)できれいに洗浄されるからにすぎません。

ケージ飼育を肯定する意見の一つに「放し飼いだと闘争が起こる」と言うものもありますが、闘争があるのはケージ飼育でも変わりません。

私が働いた農場の一つ(開放型鶏舎)は、1ケージに二羽という飼育方法でしたが、二羽であっても闘争がありました。ケージの中で同居の鶏に踏まれて平べったく地面にはいつくばっている鶏を何度も見かけました。繰り返し同居鶏にマウントされて背中が剥げている鶏もいました。逃げようとでもするように前のめりになって飼槽の下から上半身を出している鶏もよく見かけました。そうやって上半身をずるずると前に出した結果、羽の付け根が挟まって戻れなくなり死んでしまっている鶏を数えきれないほど見ました。

現場従業員は、採卵鶏の死亡原因で一番多いのは「挟まれ」だと言っていました。挟まれを解き、鶏をケージの中に戻しても問題は解決しないということに、私はしばらく気が付きませんでした。

鶏舎の中で毎日初めに行う作業は、死体をケージから取り出す作業です。ある日の朝も死体を探して鶏舎を巡回していました。すると一羽の痩せほそった鶏が、飼槽の下から上半身を出して挟まれていました。この鶏は体のあちこちから出血し羽もほとんど無くなって、弱りきっていました。

このままだと集卵ベルトが動いた時に集卵ベルトで体を擦ってしまうので、あわててケージの中に戻しました。体を動かすときその鶏は痛がって何度も悲鳴を上げました。でもその次の日に見るとその鶏はまったく同じ姿勢で飼槽の下からまた体を出していました。それを見て私は理解しました。血が出ていたのは同居鶏に突かれていたからで、少しでも逃れようと隙間から弱った体をはいずり出していたのだと。

ケージ内の闘争で苦しむのは下位に立つ鶏だけではありません。ケージの中で一羽に与えられる面積はせいぜい20センチ×20センチです。上位の鶏であっても、羽や筋肉を伸ばすどころか、最低限のプライベートスペースさえ確保することができません。研究では鶏は与えられるスペースが広がるにつれて隣の鶏との距離を長くすることがわかっています。ある程度他者から距離を置きたいというのは人と同じです。

ケージフリーにするとツツキが増えて死亡率が上がるという意見がありますが16カ国の養鶏場データをメタ分析した研究では、飼養管理の経験値が上がるにつれてケージフリーの死亡率は下がり、近年ではケージ飼育もケージフリーも死亡率は変わらないという結果になっています。

ケージフリーであれば飼養環境を改善することでツツキが防げますが、ケージでは防ぐことは絶対にできないと、私は思います。

NGOによる国内調査では、採卵鶏がケージ飼育をされていることを、消費者の7割は知らないということです。私が採卵養鶏場で働く理由の一つに、事実を多くの人に知らせたいということがあります。また別の理由に、自分が働くことで鶏の苦しみを減らすことができるのではないかという気持ちがあります。

私が働いた養鶏場の一つでは、淘汰する鶏(卵つまりや衰弱などで卵を産めない鶏を排除する)を、羽を背後で交差して動けないようにしたのちに、鶏舎の二階から生きたままで落としていました。二階から落とされた鶏は、落とされた衝撃で目から血を流しながら、安全な場所へ避難しようと身をもがいていました。1階で飼育されている鶏は、羽を交差されたのちに、生きたままで死体と一緒に廃棄処分されていました。農場の従業員の話では、死鶏の集積所には生きた鶏がたくさんいるということでしたので、生きたままで廃棄している農場は少なくないだろうと私は思っています。

廃棄された「生きた鶏」は死体と一緒に産業廃棄物業者によって回収されます。産業廃棄物業者は複数の農場を回って(養鶏場だけでなく養豚場も回ります)大きなコンテナの中に上から上へ死体を積み重ねていき、最終的に死体処理工場(レンダリング工場)に運びます。羽を交差された生きた鶏がどの段階で死ぬことができるのかはわかりません。積み重ねられた死体の重みで圧死窒息死するのかもしれませんし、レンダリング工場まで生き延びて、そこで熱処理されることで死に至るのかもしれません。いずれにしても人道的な方法とは言えません。

これは私が働いた農場とは別の農場の話ですが、そこでは淘汰対象の鶏を生きたままで焼却炉に放り込んでいました。死体も、卵を産めなくなった生きた鶏も、養鶏業では同じように価値のないものなのです。