これは後出しジャンケンではなく、ぼくはそもそも最初の緊急事態宣言が出る前から、そうした安易な態度の横行に、釘を刺していた。
休業を要請される業種への「補償が必要だ」とする声が上がったのはよいことですが、散々「感染者が増えた! 自粛が必要! むしろ封鎖を!」といった言動で煽っておいて、最後に一言「補償も考えてほしいですね」と添えておけば、パーフェクトに誰からも批判されない「模範演技」ができる。そうした振る舞いがメディアの種類を問わず、目立ち始めているように思います。
こうした「批判回避主義」のバチルスは、コロナウィルスに先んじて日本に上陸し、猛威を振るっていたのではないか。それが「善意でパニックが加速される」、危険な事態を招きかねない土壌となってはいないか——。私はそう感じます。
拙稿、現代ビジネス、2020.4.3 同じ媒体でも、著者によってこれだけ違います
もう何度も書いたけど、「カネさえ出せば」何でもやっていい、憲法も人権もスルーしていい、自由や公平さなんて知らない、とする風潮はコロナで生まれた。そんなものを生み出さず、みんなが個人の自由を尊重して振る舞えば、後から「つけ払い」の請求書なんて届かなかったかもしれない。
おそらくはタダでなく有料だったほうが、未知のワクチンを打つ前に熟考する度合いも高まったし、打たない人にも寛容な社会であり得たろう。
そうしたチャンスをぼくたちは棒に振り、「(自粛+補償)✕(ワクチン+無料)=最☆強」みたいな、口にする一瞬だけはどこからもクレームが来なそうな言葉の麻薬に溺れた結果、つけの返済は(たぶん)永遠に続く。