ほやのピンチを知って「ほやのために何かできることはないか」、「ほやを救いたい」という思いも強まり、大学卒業後すぐに就職せず、「ほやドル」になりました。
ーーーそもそも、芸能界には以前から興味があったのですか?
萌江:もともと人前で何かすることが好きで、小学生の頃はお笑い芸人になりたかったんです。中学生になってからは音楽に目覚め、歌手を目指してギターを弾いたりするようになりました。
気になる周囲の目……”窮屈さ”感じながらもブレイク
ーーー当初は上京も考えたのですか?
萌江:高校生、大学生の頃は上京しようと芸能事務所のオーディションをたくさん受けたんですけど、全敗でした。気づいたら大学卒業間際。そのタイミングでほやの歌を出したら、今までにないくらいの反響をもらえたんです。
海産物に特化したアイドルはなかなかいなかったので賛否両論あり、「なんだこの変な歌」、「ほやって若い子が食べるものじゃないでしょ」など否定的な声もありました。
でも反響があること自体うれしくて、自分の好きなものを伝えてこれだけリアクションがあることに楽しさを覚えました。それからはほやを石巻から全国にPRしようと、石巻を拠点にしています。
ーーー地元で芸能活動をする上で苦労したことはありますか?
萌江:最初の3、4年はスポーツジムでのアルバイトをしながらの生活でした。地元だからこそ知っている人もたくさんいて周りの目もあるし、いろいろ言われることもあるので、窮屈さを感じていました。
両親も心配していて、弟には「恥ずかしい」と思われていた時期もあったようです。それでも、家族がライブを見に来て応援してくれるうちに地元のテレビやラジオでも取り上げてくれて、お仕事をいただけるようになりました。
地方も東京も関係なし......「続ける」ために必要なこと
ーーー地方で芸能活動を成功させるために必要なことは何でしょうか。