ノルマンデー上陸作戦80周年を記念する式典が今年6月、フランスで挙行されたが、そこに招かれていた元兵士がインタビューで「私たちは英雄ではない。英雄は戦いで亡くなった兵士たちだ」と答えていたのを聞いて、驚いた。元兵士の謙虚さに驚いたのではなく、実際その通りだと感じたからだ。式典に招かれた元兵士たちは戦いに生き延びたが、無数の犠牲となった若い兵士たちがいたはずだ。元兵士は「彼らこそ英雄だ。華やかな式典に招かれた自分たちではない」というのだ。亡くなった霊、亡霊者への畏敬の念からの言葉だろう。
私たちの周囲には無数の亡霊が存在し、私たちの言動を見守っているのを感じる。時には、その亡霊ゆえに、生きている人間が苦悩することがある。8日のウィーンでの「水晶の夜」での追悼集会でのローゼンクランツ国民議会議長と若いユダヤ人たちとのやり取りを思い出す。戦争が終わって80年を迎えようとしているが、両者間の対話が難しいのは、戦争で犠牲となったユダヤ人たち(亡霊者)の悲しみが依然、癒されていないからかもしれない。
生きている人間と亡霊者の間で和解が成り立ってこそ、私たちも亡霊者も苦悩から解放される。そのために、私たちは亡霊者に連帯と共助を求めざるを得ない。だから、私たちは追悼し、参拝するのだろう。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年11月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。