「強さによる平和」とは、平時に圧倒的な力を備えておくと、敵が恐れて攻撃を控えるので、平和が保たれる、というのが基本的な意味である。抑止に関するモットーだと言ってよい。
トランプ氏も、第一期に軍拡を進めながら、戦争を行わなかったことを誇っている。レーガンにならった「強さによる平和」を実施したのが、自分だ、という主張である。アフガニスタンから完全撤退するための合意をタリバンとの間で結んだのも、トランプ氏であった。これに対してバイデン=ハリス政権は、泥沼の戦争にはまり込んで資源を浪費したり、稚拙な撤退をして避けることができた犠牲を出したりしてきた、とトランプ氏は批判している。この批判の流れにそって、ロシア・ウクライナ戦争の停戦を実現する、と主張している。
ゼレンスキー大統領が語る「強さによる平和」は、トランプ氏が言っている「強さによる平和」の真逆と言ってもいい意味である。
もしウクライナが十分に強かったら、2022年のロシアの全面侵攻は起こらなかった。もしウクライナを守る意図を持つアメリカが、外交面も含めて、十分に強かったら、ロシアの全面侵攻は起こらなかった。トランプ氏は、このように主張している。
ゼレンスキー大統領のウクライナも、バイデン大統領のアメリカも、弱かった。そのため全面侵攻が起こった。トランプ氏は、このように主張している。
トランプ氏の観点から言えば、クライナが、クルスク侵攻作戦の後に特に急速なロシア軍の支配地域拡大を許しているウクライナが、「アメリカの支援でいつか強くなりたい、いつか強くなってロシアを打ち負かしたい(・・・今は負けているが)、だからいつか勝てる日が来るまで戦争を続けたい」と懇願するのは、弱いからである。
もしトランプ氏のアメリカが「強さ」を取り戻したアメリカなら、ロシアのさらなる進撃を止めるだろう。抑止して、停戦を導き出すだろう。それがトランプ氏の語る「強さによる平和」である。