ローゼンクランツ議長はユダヤ人の青年たちに「私が花輪に近づくことができるようお願いしたい」と言うと、青年たちの一人が「デモは民主的な抗議として正当ではないか」と問い返すと、議長は「一つお願いしたいことがある。追悼式が終了してから質問をしてほしい」と答えた。警察側はデモ隊に退去するように説得したが出来なかった。

ローゼンクランツ議長はデモ参加者に対して「あなたたちは暴力で私を阻止している。こういう状態では私はあなたたちに従わざるを得ない」と述べると、デモ参加者は「ここでは誰も暴力を振るっていない」と反論し、「私たちの先祖への追悼を尊重してほしい!私たちはあなたと一緒に追悼したくないのだ。あなたに私たちの先祖を侮辱してほしくない」と述べると、ローゼンクランツ議長は「あなたたちこそ私を侮辱している」と主張した。

国民議会議長は「これは議会と議員たちの花輪であり、オーストリア共和国の代表として追悼式典を行いたい」と重ねて述べると、デモ参加者からは「さっさと立ち去れ」という声が飛び出した。ローゼンクランツ議長は「私の善意の表れとして、あなたたちの先祖を追悼する気持ちを尊重してこの場を離れる。しかし、あなたたちは私を暴力的に阻止したのです」と反論し、その数分後、ユダヤ人広場を去った。

アムステルダムの暴動とウィーンのホロコースト追悼集会の出来事を紹介した。どちらも心痛い出来事だ。アムステルダムではパレスチナ人の旗を持ちながら、路上をデモしていた若い人達の姿が映し出されていた。彼らはパレスチナ自治区ガザで苦しむパレスチナ人への思いもあって、ユダヤ人への怒りを爆発させている。一方、ウィーンの「水晶の夜」前日の国民議会議長とユダヤ人デモ隊のやり取りは切ない。どちらの言い分が正しいかという問題ではない。どちらも86年前の歴史の日の重荷を背負いながら歩み寄りが出来ないでいるのだ。

編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年11月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。