1938年11月9日は「水晶の夜」(クリスタル・ナハト)と呼ばれている。ナチス・ドイツ軍が支配する欧州全域でユダヤ教会堂(シナゴーグ)が焼き討ちされ、ユダヤ人商店が略奪され、ユダヤ人が迫害された。「水晶の夜」は、破壊されたガラスが月明かりに照らされて水晶のように光っていたことからこのように呼ばれ、11月9日から10日にかけて起きた。当方が住むオーストリアでも少なくとも30人のユダヤ人が殺害され、7800人が逮捕され、ウィーンから4000人が強制収容所ダッハウに送られた。
今年の「水晶の夜」の追悼式典は、前日の8日、ウィーンで行われた。「水晶の夜」の前日、7日夜から8日にかけ、オランダの首都アムステルダムで開催された欧州サッカー連盟(UEFA)主催の欧州リーグのオランダの「アヤックス・アムステルダム」とイスラエルのチーム「マッカビ・テルアビブ」の試合後(5対0でアヤックスの勝利)、競技場から出てきたイスラエル人ファンに対して一部の群衆が襲撃し、少なくとも12人のイスラエル人ファンが重軽傷を負うという出来事が起きた。AFP通信などによれば、「試合後に市中心部で両チームのサポーターが衝突し、多数の乱闘や破壊行為があった。マッカビのサポーターが反アラブのスローガンを叫ぶ場面も映像に残っている」とも報じている。
オランダのスホーフ首相は「明らかに反ユダヤ主義的な蛮行だ」と指摘、暴動を行った者を厳しく処罰すると強調し、イスラエルのネタニヤフ首相に電話し、事の詳細を説明したという。なお、ネタニヤフ首相はアムステルダムに滞在中のイスラエル人に「事態は危険だ。即、国に戻るように」と指摘し、救援機を送っている。第2次世界大戦中のホロコーストでは、オランダ在住のユダヤ人の約75%が殺害された(英BBC放送)。