ではこの名古屋の裁判における眺望権。大阪で平成20年に全く同様の裁判があり、原告は敗訴しています。その時の裁判の判断は「眺望は所有者が絶対的な排他的、独占的権利を保証するものではなく、元来風物は誰しも共有する者である。タワマンの住民が享受した眺望はたまたまその時に独占できたものであり、それが永続的に独占できる権利を持つものではない」(意訳、要約)とあります。

そもそも眺望をどこまで指すのかこれがまたあいまいなのです。例えば上述の隅田川の花火という特定方向の特定のイベントを指せば比較的ピンポイントの判断ができますが、自分の部屋の窓から見渡せる全方向の眺望が左右だけでなく上下も含め「俺様のもの」というのは傲慢であります。

カナダで眺望を確保したい場合、前に絶対に建物が建たない物件を選びます。さもなければ目の前に遮るものが将来できるかもしれないというリスクは常に抱え、多少の眺望を確保するための事前交渉は可能ですが、建てるな、とは言えないものです。

名古屋の原告の方は39階に住んでいるそうで、高層階になるほど高いお金を払っているという主張もしているようですが、その高いお金には眺望を独占するだけの金額は含まれれていないと考えられます。眺望がブロックされてそれほどいやならば今の物件を売って次の物件に買い替るほうがストレスレスだと思います。

では今日はこのぐらいで。

編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年11月8日の記事より転載させていただきました。