学識部分はオンライン端末を駆使し、各生徒に見合ったレベルの教育を行い、できないところを繰り返しやるといったテクノロジーを駆使したものでよいのです。学校の先生が黒板に向かうスタイルは昭和初期のスタイルの継承であり、「上から目線」が強まる結果となります。「先生」は「先生」ではなくアドミニストレーター(管理官)でよいのです。

その代わり、これからの教育者、つまり「真の先生」はクラスをまとめ、各々の生徒が持つ個性を引き出し、それを育むためのインストラクターであるべきだと思います。申し訳ないですが、大学卒業し教育実習を終えたばかりの若い方々を「先生」とするのはまるで儒教の年長者を敬うような思想で私は今の時代には合わないと思います。

我々は「先生」という言葉を多用する傾向にありますが、政治家を「先生」というのもやめてもらいたいぐらいなのです。民主主義の根幹からすればこんなところで格差をつける必要はないでしょう。そして教育は金がかかる、という思い込みから脱却し、何をどうすべきか、教育委員会ではなく、第三者の専門家委員会でもっと討議すべきだと思います。

では今日はこのぐらいで。

編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年6月30日の記事より転載させていただきました。