(26)「本書で……(中略)明らかとなったのは、『社会国家』化の論理が決して一つではなかったということである」(同上:336)。それならば、無理して「社会国家」を使う必然性もない。何しろ、「体力の向上」、「生産力の増大」、「民族=人口の増殖」、「農村厚生」、「満州移民で農村社会の再編成」など5つの戦時政策が、政策担当者の合従連衡により次々に打ち出されたのだから。
(27)「日本ファシズム=全体主義的総力戦体制は、たしかに戦時『社会国家』の実現を目指すものではあったが、総じてそれは計画・構想のレベルにとどまるものであった」(同上:338)。そうであればなおさら多義的な「社会国家」を使う必然性に乏しい。
「戦前との連続性」はどの時代まで可能か(28)「近年の福祉国家研究が指摘するように、……(中略)『社会国家』の問題に関してより注目されるのは、……制度面での連続性の背後において、社会状況の戦前への回帰という事態が生じていた」(同上:340)。
高岡はその事例として「戦後における人口問題の変容」をあげたが、「戦前との連続性」は復員兵と植民地・占領地からの引揚者で「過剰人口」が発生した1950年代までの「戦後」であり、1956年の経企庁『白書』がいみじくものべたように、1956年辺りからは「もはや戦後ではない」という状況が生じていた。
(29)「戦後日本の社会状況は、多くの社会科学者にとって『戦時』ではなく、『戦前』と連続していたものと考えられるものだった」(同上:343)。
総論では日本社会の連続性はもちろんあり、たとえば父系的な家族規範、結婚を是とした婚姻規範、月に2回(1日、15日)の休日を是とする職業規範などをあげることは可能である。しかし、「戦後日本」は何しろ長い。高度成長期辺りからは「戦前」との切断も目立ち始めてくる。
高度成長期は「戦前との連続性」が乏しいその時代は、「週休1日土曜半ドン制」が大企業だけではなく、中小零細企業、官庁、義務教育や高等教育で普遍化した。すなわち働き方が変わり、終身雇用、年功序列、企業別組合の3点セットを核にした「経営家族主義」により、未曽有の経済成長期に突入した。だから、「戦前との連続性」をいうためには、時期的な判断を加えておきたい。