しかし、この状況を踏まえても「昔、多くの人が結婚をしていたのは独身男性が豊かだったから」とは言い切れない。「かつては女性は生きていくために結婚せざるを得ない社会だった」という評価をする専門家もいる。
見方によっては昔、女性にとっての結婚は半ば「就職」に近い性質を持っており、経済力を夫が完全に握っていたということになる。望まぬ結婚も多くあったと考えるなら、女性が独力で稼いで自己実現できる今の社会の方が健全であるのではないだろうか。
「昔は良かった話」は害悪でしかないその他、公共衛生やマナー、労働環境など言い出したらきりがないほど多くの点で現代は良くなった。以上のことから、昔は良かったオジサンの主張はことごとくズレているということになる。
ここからが本題だが、昔は良かったオジサンの話を聞くことの問題は、間違った歴史認識を植え付けられてしまうことで、「現代社会は悪であり、自分は前世代の被害者」という良くない認識を与えられてしまうことだ。
昔に比べて遥かに暮らしやすく、働きやすくなった現代が昔より悪いと聞かされて誤解すると、社会やそれを作り出した上の世代に対する増悪が育つことになる。端的にいえば現代日本を生きる自分は不幸な被害者というマインドコントロールになるのだ。
実際、そうした認識を持っている若者から直接話を聞く機会があり、「自分は生まれた時から良い日本を全く知らない。景気の良い時代に生まれたかった」と言われたこともある。
だが、そうした若者を平成初期にタイムスリップさせれば、あまりの住みづらさにたまらずすぐに逃げ出すのは間違いない。ワークライフバランスやリモートワークなど存在せず、パワハラ、セクハラも珍しくなく、景況感も最悪で犯罪も今の4倍だ。就職も転職も難易度はケタ違いに高く、大学受験も現代とは比較にならない難しさ、競争率である。人々のマナーも今より悪かった。自分は当時の世紀末のような雰囲気をよく覚えており、あの世界には二度と戻りたくないと思う。