いずれにせよ、その離宮跡が神社となりました。11世紀に藤原頼通が平等院をつくるときには鎮守のような位置づけになり、1053年に平等院鳳凰堂ができたのと同時期に、本殿も完成したようで、現存で最古の神社建築です。拝殿は鎌倉時代初期のものですが、これぞ、寝殿造りというものです。しかも、うれしいことに、この宇治上神社は、見学者がいちばん少ない世界文化遺産なのです。
1998年に宇治上神社の近くに宇治市源氏物語ミュージアムが開館しました。六条院の模型や平安貴族の生活の展示があります。
その川向こうにあって笛の音が聞こえる範囲にある夕霧の別荘は、平等院がある場所に、宇治橋を渡った反対側にある平等院鳳凰堂も、2014年に解体修理が完了しました。建物は暗みのある赤の「丹土色」で塗り、瓦も濃い墨色にして、シックな色調の外観となる一方、屋根の上に据える青銅製の鳳凰と露盤宝珠には金箔を貼りました。
そのほか、なかほどに名橋と意われる宇治橋、その西詰には紫式部像、東詰には宇治十帖モニュメント、雪の夜に浮舟と匂宮が会った塔の小島には十三重の石塔、近くには横川の僧都のモデルと言われる源信(恵心僧都)ゆかりの恵心院などを訪れる人が多いのです。源信は浄土信仰の重要な出発点となった『往生要集』の作者で藤原道長の崇敬を受けた名僧でした。
この時代、宇治に行くには、五条のあたりで鴨川を渡り、大和大路と呼ばれている三十三間堂の西側の通りを南下しました。京阪電車の東福寺駅から法性寺は藤原時平が創建した天台宗の寺で、藤原氏の氏寺とされていましたが、鎌倉時代にその寺域に東福寺が創建されてそちらに藤原氏の氏寺的な機能は移りました。
さらに南下し、伏見城跡(明治天皇伏見桃山御陵)がある木幡山の北側の大亀谷)を南東に向かって進むと宇治に至ります。だいたい、京都御所のあたりから15kmくらいです。
また、当時は鳥羽のあたりから、船で巨椋池を宇治に行くこともあって、道長はこれを利用したこともありました。