「光る君へ」もあと二ヶ月になったが、日曜日には宇治が舞台になってきました。そこで、少し宇治の観光とグルメの案内をしてみましょう。拙著「紫式部と武将たちの京都」(知恵の森文庫)の一部を再編集したものです。
源氏物語の『宇治十帖』は、光源氏の死後、薫と匂宮の恋の葛藤を描きます。薫は光源氏の次男と言うことになっていますが、実は継室だった女三宮が、頭中将(葵の上の兄)の息子である柏木となした不義の子です。
匂宮は今上帝と明石女御(光源氏と明石の君の子)の次男です。宇治に住んでいた光源氏の異母弟・八宮と北の方の娘である大君と中の君、それに身分の低い女性から生まれた浮舟を巡って薫と匂宮が絡み合い、板挟みになった浮舟は宇治川に投身自殺を試みます。
しかし、死んだと思われた浮舟は横川の僧都に救われ、記憶喪失のまま落飾し洛北・小野の里にかくまわれます。やがて薫に見つけ出されますが、拒絶して信仰に生きる決意をするというところで物語は終わります。
平安京の故地である京都中心部は、たび重なる火災のために、古い建物がほとんど残っておらず、応仁の乱以前のものは、鎌倉時代の千本釈迦堂だけです。少し範囲を広げても、東山区の三十三間堂(鎌倉初期)とか八坂の塔(室町時代)くらいです。
そして、平安時代のものということになると、東山の反対側の山科盆地にある醍醐寺五重塔がいちばん近く、あとは、宇治平等院、宇治上神社などになります。
源氏物語の舞台のほとんどは京都ですし、各巻に因んだ場所を訪れることは可能ですが、面影を見つめることは難しいのですが、『宇治十帖』と呼ばれる終章の舞台である宇治には、物語が書かれたのとほぼ同時代に建てられた建築が残っているのはなんと幸福なことでしょうか。
宇治という地名の由来は不明ですが、宇治上神社は 『山城国風土記』に見える菟道稚郎子の離宮「桐原日桁宮」の旧跡であるといわれます。菟道稚郎子は応神天皇の皇太子でしたが、兄の仁徳天皇に天皇の地位を譲るために自殺したとされてます。また、王仁博士について、漢籍を本格的に勉強したはじめての皇族だとされています。菟道稚郎子と宇治は関係ありそうですが、鶏が先か卵が先かは不明です。