メルケル政権時代、ギリシャのチプラス政権(当時)はドイツに戦時賠償金問題を重要議題とし、ドイツ側の対応次第ではギリシャ国内のドイツ資産の押収を示唆するなど、ベルリンを脅迫したこともあった。

それに対し、ドイツ側は対ギリシャ戦時賠償問題では「2プラス4」協定(Zwei-plus-Vier-Abkommen)のドイツ再統一後、その法的根拠を失ったという立場を堅持。ドイツ外務省は2019年10月18日、「大戦中の損害賠償問題は解決済みだ。ギリシャ政府と戦時の賠償問題で交渉する考えはない」と支払い交渉を正式に拒否している。ただし、法専門家の中には、「法的には解決済みだが、対ギリシャ戦時賠償問題をもう少し広い範囲で議論すべきだ」という意見も聞かれることは事実だ。

(ヒトラーのドイツが1942年、ギリシャ中央銀行から4億7600万マルク(当時)の資金を強制的に借り入れたが、その返済はこれまで実施されていない。現在の価格では80億から110億ユーロに相当する巨額な借り入れだ。1944年6月10日、ナチス親衛隊によるギリシャ・ディストモでの婦女、子供大虐殺に対し、ドイツは賠償金を支払わなければならない。なお、ドイツは1960年代、戦時賠償支払いの枠組みの中で1億1500万マルクをギリシャ側に支払っている)。

戦後80年余りが経過したが、ドイツの過去問題を挙げ、損害賠償を請求している国はギリシャだけではない。ポーランドも同じだ。ポーランドのアンドジェイ・ドゥダ大統領は9月1日、ドイツのポーランド侵攻85年追悼式典で、第二次世界大戦でポーランドが被った損害に対する賠償を改めてドイツに要求している。同大統領は「許しと罪の認識は一つのことですが、損害の補償は別問題だ。この問題は80年間、第二次世界大戦を含めて未解決のままだ」と付け加えている。

ポーランドへのドイツの侵攻は1939年9月1日に始まり、ダンツィヒ(現在のグダニスク)近郊のヴェスタープラッテへの砲撃に先立ち、当時のドイツ・ポーランド国境付近に位置するヴィエルンはドイツ空軍によって爆撃された。この攻撃だけで約1200人の民間人が犠牲になった。戦争全体でポーランドでは約600万人が命を落とした。ワシチコフスキ外相(当時)は2017年9月4日、ドイツに対し、第2次世界大戦時のナチス・ドイツ軍のポーランド侵攻で1兆ドルを超える被害があったとし、賠償金を暗に請求した、といった具合だ。