itasun/iStock

現在の歴史的な円安の背景と要因について、以下の3つのポイントから考察していく。

2011年の1ドル75円と比べて、2024年現在なんと155円(今日は一時的に160円)、円の価値は半分以下に下落した。

多くを輸入に頼る日本では、モノの値段が次々上げられ、人々は海外旅行にもいけなくなった。

かつて世界2位の経済規模を誇り米国の70%まで達した我が国のGDPはドイツに抜かれ4位に転落、このペースでは2025年にはインドに抜かれる。

「GDPの下落は為替相場という一時的な要因でしょ」と、現実を見たくない人も多くいるが、実際はそうではない。なぜ円安が続き日本が貧しくなっていくのか考察してみよう。

1. 日本企業の海外進出と構造変化

日本は製造業で外貨を稼ぐ国であり、国内で作り、世界に輸出をして稼いでいた。

国内市場も世界2位3位の規模を持ち、国内だけで事業を完結することもできた。世界トップクラスの自動車、半導体、家電などの産業を持ち、多くのお金を稼いだ。潤沢に労働者もいた。

日本人の給料も良かったから、コスト削減や市場拡大を目指して、積極的に海外に生産拠点を移転した。

しかしそれでも、日本には多くの生産拠点があり、競争力がある製造品を日本国内で製造し、輸出で稼ぐことができていた。

しかし、それが大きく変わってきたのは2010年代であった。

2011年の東日本大震災は、日本の製造業に大きな打撃を与えた。サプライチェーンの脆弱性が露呈し、生産拠点の分散やリスク回避のために、多くの企業が海外進出を加速させた。

それと同時に、日本の人口減少ももう回避できない状況となり、国内にとどまるだけの商売では事業の継続性も厳しいことが多くの企業に理解が広まりつつあり、海外にビジネスを展開させる企業が増えていった。

海外で生産すると生産の品質の差があったのも、海外の技術力が高まるに連れて問題も解消されていった。

iPhoneはアメリカで設計されているが、今や中国でもインドでも作れる。

歴史的に世界は貿易の自由化の流れがあり、日本国は原料を輸入し、それを加工して製造品を輸出して外貨を稼ぐ国として成り立ってきた。

しかし、実際には1980年〜1990年代の日米半導体摩擦などに代表される日米貿易摩擦でも明らかになったように、自由主義的な貿易ルールがいくらあっても、実際にはそれが通用しないことも増えていった。

特に2010年代になると、米国は保護主義的な貿易政策を取り、EUも外国からの輸入に様々な障害を設けてEU内企業を優遇したりする保護主義的な動きが強まった。

日本で製造して輸出をしたくてもそれが邪魔されるルールが作られるのと同時に、海外での生産も日本と遜色ないレベルに至りつつある、そして災害に対してサプライチェーンを世界に分散し強化する、日本の人口減少での市場低迷と労働者不足も考え、日本企業は、積極的に海外に生産拠点を移転していった。

実際に、2011年頃から、日本企業による海外直接投資が激増していった。

海外直接投資というのは、海外に工場を作ったり不動産を買ったりすることをいう。

日本企業のお金で海外に工場を作るので、その対象国では雇用は増え、技術も磨かれていくわけで、投資を受ける国にとってはメリットが大きい。

海外進出で工場建設や企業買収などを行う際、円を売って現地通貨を購入して代金を支払う。

例えばアメリカに進出するならば、円を売ってドルを調達し、それを現地の工場建設の会社などに支払う。

円は売られるので円安圧力は高まる。これが1つ目の大きな変化であった。

海外直接投資は、2010年代以降、どんどん増え続けている。