現時点では、日本での放送は決まっていないようだが、劇場公開の形も含め、是非公開してほしいものだ。
番組の内容やインマンさんへのロンドンでのインタビューを続報として紹介する予定だが、今回は筆者が訪れた長崎の様子を伝えてみたい。
長崎へ東京に住む家族のケアのため、筆者は今月上旬、日本に一時帰国した。ケアの合間に、筆者は長崎に向かった。
なぜ長崎だったかというと、「アトミック・ピープル」の証言者の中に長崎で被爆した方々がいたからだ。番組によると、被爆者の方やその2世、3世の家族の方、そして長崎を訪れた人たちが、毎月9日、平和公園に置かれた「長崎の鐘」を一緒に鳴らすという。
広島への原爆投下は1945年8月6日で、長崎は8月9日である。
8月9日午前11時2分。長崎の人はこの特別の時間を忘れていない。
「長崎の鐘」は長崎県被爆者手帳友の会(1967年設立)が、1977年8月5日、長崎を最後の被爆地とするために設置した。
友の会によると、「戦争を2度と起こさない」という誓いとして、毎月9日、必ず鐘を鳴らすのだという。
「アトミック・ピープル」では井黒キヨミさん(現在は故人)や今年7月に100歳を迎えた中村キクヨさんらが、訪れた人と共に鐘を鳴らしていた。
戦後生まれの筆者は、機会があればこの鐘を鳴らしてみたいと思うようになった。
平和公園へ今年10月9日は、よく晴れた日となった。
午前中から、平和公園にはたくさんの小中学生の団体が訪れていた。
1945年8月、長崎市松山町の上空約500メートルで炸裂した原爆により、市街地の大半が焦土化した。筆者は爆心地を確認し、平和の像の前で両手を合わせて拝む男性の姿を写真に撮った。
長崎の鐘が置かれている場所まで戻ると、午前11時少し前、長崎の被爆者4団体の1つ、長崎県被爆者手帳友の会のメンバーらしき人たちが集まっていた。鐘に繋がった太く白い綱をみんなで手に持って準備する。