その頃に新聞の折り込みに入っていた求人広告のチラシで、フルコミッションの営業の募集がありました。
営業っていいなと思っていたので、その会社の求人に応募してみたという感じです」
営業の「自分で考えて組み立てるスタイル」がはまる
オペレーション型のアルバイトから、成果報酬型の営業の仕事に変えてから、成果が出せるようになったのはなぜでしょうか。
「営業がうまくいったのは、自分で考えて組み立てるからですね。
営業ってどこに訪問するかというところから、けっこう自分で決められるんです。訪問してからの資料や話し方もそうです。
ただ決められたことをやるよりも、自分で考えたことをやる方が得意だったので、うまくいったんだと思います」
起業後、2013年にミッションである「“なくてはならぬ”をつくる」を制定するまでは、「リアクションではなくアクションを起こす」を会社のスローガンとしていたといいます。
これは起業前に金谷氏自身が、先輩から「これやって」と言われたことだけをやるというような仕事ではなく、自分からどうやったらできるかを考えて行動した結果、成功した経験から、創業初期に行動指針として定めていたそうです。
「ちなみに、akippa社内の評価システムとしてはいまでもその名残があります。言われたことだけしかできない人は、7等級のうちの1番下の等級という位置づけにしていますね。
自分でどんどん目標を立て、自分から作りにいく意識は、いまも会社全体のなかにあるバリューだと思います」
サッカーを辞めて、ビジネスの道へ
同い年が大学を卒業する22歳でプロになれなければビジネスの道に進もうと決めており、サッカーはそこできっぱりと辞めることにしたそうです。
「サッカーをやっている間は、自分より活躍している選手を見て、応援はできなかったです。悔しかったですね。
子どものときは、セレッソ大阪のサポーターをしていて純粋に応援できていました。でも、高校生ぐらいからセレッソ大阪の下部組織の同い年がトップチームでプロの試合に出ていたのも、当時はぜんぜん応援できなかったです。