豊臣秀吉肖像(狩野光信筆 高台寺蔵)出典:Wikipedia

東京営業2課 係長 奥田 拓之

天下統一を成し遂げた豊臣秀吉といえば、「草履取り」や「一夜城」、「中国大返し」など、奇抜なアイデアによる立身出世の人というイメージが強いでしょう。

その一方で、内政に関する数々の施策によって近代日本の礎を築いた人でもあります。今回は、そんな秀吉の天下の大事業から、現代のマネジメントに活かせる点について学んでいきます。

基準を明確化した「太閤検地」

秀吉の大きな業績の1つが太閤検地の実施です。太閤検地とは、大名が田畑の調査を行い、土地の権利関係をまとめた上で、年貢の負担者を決めるというものです。

太閤検地が行われるまで、大名がそれぞれ独自に検地を行い、年貢量を算出していましたが、ほとんどは所有者からの自己申告であり、正確な情報は得られていませんでした。

というのも、日本の土地制度は時代が経るにつれて変わっていったため、例えばある一つの土地の所有者が複数いるといった事態は珍しくなく、複雑な権利関係のせいで、合理的な年貢の徴収は難しい状態だったのです。

秀吉の太閤検地によって、農地を正確に測量し、農民を耕作者兼年貢の負担者として登録(一地一作人の原則)したことで、不透明だった年貢の納入経路が明確になり、無駄なく徴税できるようになりました。

これにより、それまでの土地制度は白紙になり、すべての土地の管理者は秀吉となったのです。

このとき、測量単位の統一も行われました。日本ではそれまで、単位の基準が曖昧だったのです。例えば、長さの単位には「尺」が使われていましたが、当時は地域によって1尺の長さが違っていました。

重さや面積の基準、年貢米を計量する枡の容量も同様で、これでは正しい情報が得られません。

そこで、秀吉は全国どこでも同じ測量結果が出せるようにと、バラバラだった単位の基準を定めます。

例を挙げると、1尺を現在の単位でいう30.3cm、1寸はその10分の1の3.03cm、1間を6尺3寸とし、枡は「京枡」を使うなど、単位ごとに決まりを設け、検地では必ず同じ道具で測量するように命じました。