1984年10月19日、37歳の司祭がビドゴシュチ(ブロムベルク)でのミサからワルシャワへ車で戻ろうとしていたところ、ポーランド秘密警察のエージェントに拘束され、拉致された。数日後、彼の縛られた遺体がヴウォツワヴェク(レスラウ)近くのダム湖から発見された。

彼の殺害は、全国で政権に対するポーランド国民の抵抗を強め、5年後の共産主義崩壊の一因となった。ポピェウシュコの葬儀には50万人以上が参加した。政権は国民の不満を抑えるため、1985年にこの殺人に関与した秘密警察の3人の職員に重刑を課したが、首謀者は処罰されることはなかった(バチカンニュース)。

1989年にポーランドが自由を取り戻すと、ヨハネ・パウロ2世はこの「連帯」運動の神父を、ポーランドのヨーロッパの守護聖人に任命した。2010年6月6日には、ベネディクト16世がワルシャワでポピェウシュコ神父を列福した。

ヨハネ・パウロ2世は1984年10月31日の一般謁見で、「キリスト者は、キリストにあって勝利するように召されている。この勝利は苦難と結びついており、キリストの復活が十字架と不可分であるように、彼の死もまた勝利を意味する。私はポピェウシュコ神父のために、そしてこの死から生まれる善のために祈ります。それは、十字架から復活が生まれるのと同じです」と述べている。同2世はまた、1990年の一般謁見の場で、「精神的に自由であり続けるためには、真理に生きる必要がある。真理に生きることは、それを証しし、常に記憶し続けることだ」と語っている。

世界が民主諸国と共産圏に分断されていた冷戦時代、ポーランドのポピェウシュコ神父の他に、1960年代から80年代にかけてルーマニア全土を掌握していたチャウシェスク大統領の独裁政権崩壊へ最初の一撃を加えたトランシルバニア地方の改革派キリスト教会のラスロ・テケシュ牧師、そしてソ連・東欧共産圏で世界初の「無神論国家宣言」を表明したアルバニアのホッジャ政権下で25年間、収容所に監禁されていたローマ・カトリック教会のゼフ・プルミー神父の名前がどうしても思い出される。共産主義社会で「信教の自由」のために献身的に歩んだ聖職者だ。