それだけではない。国際司法裁判所(ICJ)は、イスラエルの行為に対するジェノサイド条約の適用可能性をふまえて軍事行動停止の仮保全措置命令を出している。またパレスチナ占領地の違法な存在をめぐって、即時の撤退を要請する勧告的意見を発出している。国連憲章にのっとった国際法によって裏付けられている最高権威が、イスラエルの行動を問題視し、軍事行動の停止のみならず占領地からの撤退を求めているのである。
ところがイスラエルは、これらを全て真っ向から否定して無視する態度を公に表明している。そして国連憲章を中心とした国際法の遵守を謳うG7は、イスラエルの敵だけを非難し、イスラエルは非難せず、ただ防御対象であることだけを強調している。
こうしたあからさまな国際法の権威を形骸化させる「二重基準」の態度によって、「自由で開かれたルールにもとづく国際秩序」なるものは有名無実化してしまっている。全く説得力がない。
恐らくは今後、さらなる外部からの挑戦者に直面していくだけではない。NATOやEU加盟国内の懐疑派諸国の無関心や、それぞれの国の中の懐疑派の突き上げにもあっていくだろう。前途多難である。
果たして、このようなG7諸国の自家撞着的な世界観にそった共同声明をあらためて発してみせることに、何か意味はあるのだろうか。にわかにはつかみきれない気がする。米欧諸国は今、世界経済におけるシェアを減退させ続け、人種差別的な二重基準を批判され続けながら、準同盟国であるイスラエルなどに武器を提供し続けている。ここでなお米欧諸国中心主義的な世界観を強調してみせることに、果たして外交的な意味がどれくらいあるのか、つかめない気がする。
日本では、NATOと接近するのは良いこと、G7諸国と仲良くするのは良いこと、いずれにせよアメリカと歩調を合わせるのは良いこと、と無批判で仮定する風潮が根強く存在する。その方向性で、欧州や中東に対する政策的態度を決めている様子がある。