【質問】 科学技術の発展に伴い、人間がよくなるという保証はあるだろうか。方向性も定まらない中、嵐の海を小舟で航海するような状況ではないですか。
【回答】 あなたの問いには、人間の技術発展に対する根本的な不安が込められています。科学技術が進化する一方で、それが必ずしも人間性や社会を「よくする」保証は存在しません。むしろ、技術の進展が持つ両義的な性質を考えると、現代社会はまさに嵐の海を航海している小舟のような状況に近いかもしれません。 まず、科学技術の進化はこれまで多くの利益を人類にもたらしてきました。医療技術の発展によって寿命が延び、インターネットやスマートフォンによって情報へのアクセスが飛躍的に向上し、生活の質も向上しました。しかし、技術進化は必ずしも一方向に「良くなる」だけではなく、しばしば新たな問題を引き起こします。核兵器や環境破壊、AIによる監視社会の到来など、技術の進化がもたらす負の側面は無視できません。 哲学者マルティン・ハイデッガーは、技術が人間性や存在の意味を侵食する可能性を警告し、技術進化が制御不能な方向に進む危険性を指摘しました。彼によれば、技術は単なる「道具」ではなく、世界に対する人間の関わり方そのものを再構築する力を持っており、私たちが技術の使い方を誤れば、人間性そのものが危うくなる可能性があります。 また、技術の進展は常に人間の「倫理的判断」を伴います。たとえば、AIの発展は労働の自動化や効率化をもたらす一方で、プライバシーの侵害や格差の拡大といった問題も生じています。これらの問題にどう対処するかは、技術そのものよりもむしろ技術をどう使うかにかかっていますが、その方向性が定まっているわけではありません。 現代社会の科学技術に対する姿勢は、予測不能な未来を航海する船に似ているというのは非常に的を射た比喩です。嵐の中で、私たちがどの方向に進むべきかの「コンパス」を持っているかどうかは不明です。科学技術は加速し続ける一方で、人間自身がその進歩に見合った倫理的成熟を持つかどうかが問われています。この状況を打破するためには、技術進歩と人間性のバランスを取るための新たな倫理的な枠組みや規範の構築が求められます。技術はあくまで道具であり、その使用方法を決定するのは人間です。したがって、私たち自身の価値観や倫理、社会制度の改善なしには、技術がもたらすリスクを真に緩和することはできません。