私なら、もっと核心をついた言い方で「政府万能論の幻想を捨て、政府ができる政策を取捨選択し、公約を絞るべきだ」と書きます。政府に基本的な役割は、国民の生命、財産の保護、資源配分の調整、所得の再分配、景気の安定などに限定すべきでしょう。そんなことを訴えると、選挙に負ける。ですから有権者も賢くなり、公約に踊らされず、その嘘を見破るようにしたい。

できないことまで、あたかもできるように喧伝するものだから、その結果をみている有権者の失望を買い、投票率は50%台で半分の有権者しか投票所に行かない。10代の投票率は43%(2021年)で、政党ができないことばかかり叫ぶ選挙に関心を持たない。

最高権力者の総理になると、ますます「政府万能論」の錯覚に陥る。安倍.元首相は国会質疑で野党の質問に対し、「私は総理なので、森羅万象の全てを担当している」(2019年2月)と答弁しました。「森羅万象」を司るのは「神」とされる。まるで「神」にでもなったような高揚感を権力者は持ってしまう。

「森羅万象を司る」といったのは、民主党政権の時の菅直人.元首相もそうでした。東日本大震災における政府の対応を巡る質疑の際(2011年)の発言です。田中角栄.元首相も「海岸には海岸法、森には森林法、道路には道路法、田畑には農地法などがあり、森羅万象を司っている」といっていたと、どこかで石破首相が感慨そうに述べています。

「森羅万象と司る」の政治的な意味は、「国土、領土内で起きている様々な現象について情報を集め、把握する」にある。それを「森羅万象を政権、政府の権限、行政で解決する」と、錯覚しているのです。

自民党の選挙公約をみると、「政治制度改革、党改革、物価対策、社会保障、財政運営、外交、安全保障、防災、国土強靭化、地方創生、教育、子育て、教育、文化、成長戦略、脱炭素、デジタル」などそれこそ森羅万象にまたがっています。各省、各行政組織から上がってきた膨大な政策を羅列しているにすぎない。それを歴代首相の多くは「森羅万象を司る」との錯覚に陥ってきたのです。