れいわ新選組の大石あきこが良い例で、他人の不記載は裏金だが、自分の不記載はミスを訂正しただけとなる。このダブルスタンダードが今の野党の全てと言ってもいい。有権者の多くが指摘しているのが、まさにこのダブルスタンダードなのだ。

政治は国民生活を第一とすべきで、その意味では綺麗事の羅列だ。しかし綺麗事と一言で片付けられない。国会は立法府だからだ。立法にあたっては綺麗事で良いのだ。法律論や内閣法制局における予備審査を経る過程は、一般国民には理解が及ばない部分もあるため、表面上は綺麗事を整えるための法整備と捉えても間違ってはいない。しかし、国会には立法府という側面の他、権力に対する魑魅魍魎が蠢く世界が存在する。特に、55年体制が維持されてきた平成の頃まではそれが続いた。

しかし、れいわ新選組の大石あきこみたいな、国会法を無視して投票時にプラカードを掲げてアジテートする活動家然とした国会議員が出てきたり、それを統制できない貧困ビジネスを繰り返す山本太郎のような党代表が出てきたことで、もはや、55年体制の国会ではないことが明白になった。

つまり、自民党による統治が効かなくなってきているのである。

以後、

・次の自民党

続きはnoteにて(倉沢良弦の「ニュースの裏側」)。