■100年前の魔法瓶事情に驚き…

じつは、タイガー魔法瓶が創業したのは、奇しくも関東大震災と同年の1923年。当時は「虎印魔法瓶製造卸菊池製作所」という名称であった。

当時の情勢について、タイガー魔法瓶の担当者は「1923年、創業当時の魔法瓶はガラス製で、その評価は『値が張るのに割れやすい』というものであり、約90%が中国・東南アジアなどの海外に向けて輸出されていました。国内の潜在的な需要は大きな可能性を秘めていましたが、創業者の菊池武範は独立以前より『品質を改善しなければ、いずれ魔法瓶市場が先細りになる』と考えていました」と振り返る。

大地震に襲われたタイガー魔法瓶、信じられない光景に目を疑う 4割弱が「想像できなかった」事態とは…
(画像=『Sirabee』より引用)

武範の信念は「商品を作り出す以上、人々から喜ばれ、愛されるものでなければならない」というもの。つまり、割れやすい魔法瓶では、たとえ利用客からいっとき喜んでもらえたとしても「愛される商品にはならない」と、理解していたのだ。

そこで同社は、従来の魔法瓶の最大の弱点でありながら、半ば放置されていた「割れやすさ」を克服するべく、新商品の開発に挑んでいく。

大地震に襲われたタイガー魔法瓶、信じられない光景に目を疑う 4割弱が「想像できなかった」事態とは…
(画像=『Sirabee』より引用)

具体的な過程として、タイガー魔法瓶の担当者は「まずは良質な材料として、当時その数を増やしていた中瓶製造業者の中から、ひときわ割れにくいガラスの中瓶を仕入れます。そしてケースと中瓶の間に段ボールを入れてクッション性を持たせ、中瓶を衝撃から守る独自構造を開発します」「また、本体ケースは一般的なブリキではなく、真鍮を肩と底に、亜鉛引鉄板を胴体に使用し、サビにも強い魔法瓶を目指しました」と説明している。

かくして創業年である1923年に「小判型虎印魔法瓶」が発売され、その高い品質とデザインは地元・関西で大きな人気を博していく。満を持して同年6月、東京への進出を果たしたのだ。

大地震に襲われたタイガー魔法瓶、信じられない光景に目を疑う 4割弱が「想像できなかった」事態とは…
(画像=『Sirabee』より引用)

そして運命の9月1日、同社が東京で取引を初めて間もない時期に、マグニチュード7.9という途方もない大地震が関東地方一円に襲いかかる。

これ以上ない「最悪」のタイミングと言える大災害。しかし、他ならぬこの関東大震災こそが「虎印魔法瓶」の評価を一挙に高める要因となったのだ。