逆に、海上ルートによりa(図3の赤丸)が中国大陸→日本→朝鮮半島と到来したとするなら、対馬も北部九州もa(同)なので、DNAでも合理的に説明可能となります。
ちなみに、この同じルートでは、朝鮮半島最古の土器とされる「隆起文式土器」が発見されており、古来から海上輸送によく使われていたと考えることもできます。
水田稲作の伝来が朝鮮半島と考えにくい理由このほかにも、水田稲作の伝来が朝鮮半島と考えにくい理由はいくつかあります。
【理由1】アルコール分解酵素ALDH2の変異を持つ人間の割合は、水田稲作が盛んな地域ほど多くなるとされる。たとえば、米作中心の中国南部では45.7%で、麦作中心の中国北部(北京)の28.2%より変異を持つ人が多い。しかし、韓国人(蔚山)ではこの変異を持つ人は27.5%で日本人(東京)の44.3%より少ない。もし、昔から朝鮮半島が日本より米作が盛んだったなら、この変異は日本人より多いはず(拙著)。
【理由2】もし、水田稲作の伝来が中国大陸→朝鮮半島なら、最古の水田稲作跡が大陸より日本に近いオクキョン遺跡(蔚山)なのはかなり不自然。なお、この付近では縄文土器や弥式土器も発見されている。
【理由3】水田稲作に伴って出現する環濠集落も、朝鮮半島で発見された数は日本の10分の1程度と極めて少なく、規模もはるかに小さい。しかも、半島で発見されたものは、なぜか日本に近い南岸に集中している(図4の赤枠内)。もし、水田稲作が中国大陸から伝わったとするなら、日本に近いほど数が多くなることは説明が困難。また、朝鮮半島南岸からは、大量の弥生土器も発見されている。
以上のことから推測すると、水田稲作の到来は、
海上ルートによりaが中国大陸→日本→朝鮮半島と伝わった 同様に、海上ルートによりbが中国大陸→日本と伝わったが、朝鮮半島には伝わらなかった 日本では原産地の中国大陸よりDNAの種類が少ないことから、一部の地域から少量の籾が持ち込まれた “渡来人”の果たした役割はほとんどないか、あったとしても相当に限定的と考えるのが最も自然ということになります。