では、同時期の朝鮮半島の状況はどうだったのでしょうか。
半島最古の水田稲作跡は、蔚山市にあるオクキョン遺跡で発見され、開始年代は紀元前11世紀(紀元前1000年頃)とされます。日本最古の菜畑遺跡の紀元前10世紀(紀元前930年頃)よりは古いものの、前者の年代測定は発掘された土器の地層、後者は放射性炭素によるものですので、数字の直接的な比較は難しそうです。
イネのゲノム解析の結果従来の定説「二重構造説」によれば、朝鮮半島の渡来人は、水田稲作などの先進技術を携えて日本列島に到来したとされています。しかし、“渡来人”が縄文人の末裔だとするなら、これらの人々は日本に「里帰り」した縄文人ということになり、これなら大いにありそうな話でしょう。
しかし、イネのゲノム解析を行った結果では、中国大陸から渡来した水田稲作は、海上ルートで直接日本に伝わり、その後に日本から朝鮮半島に伝わったと考えた方が自然となります。
このことは、在来種のイネのゲノムを行った佐藤洋一郎氏が述べています。
佐藤氏によれば、従来種のイネのゲノム(DNA中のRM1)を調査したところ、
中国大陸(原産地):a~hの8種類 日本:aとbが主流(cは例外的) 朝鮮半島:bを除く7種類という結果になりました(図3)。bは朝鮮半島には見られないため、これが「bでは従来の朝鮮半島経由は否定される」という理由です。
また、この後の佐藤氏は、水田稲作は黄河あたりが北限で、朝鮮半島北部や中国大陸北部では極めて困難なため、朝鮮半島経由で伝来した可能性を否定しています。
実は、もう一度よく図3を眺めてみと、かなり奇妙な事実に気が付かされます。なにしろ、中国の在来種ではbが圧倒的多数派。もし、aが中国大陸→朝鮮半島→日本と伝わったとするなら、大陸で多数派のbが朝鮮半島にまったく伝わらないのは極めて不自然です。