本当にそういうやりとりがあったかどうか誰にも分からないが、追悼演説を自分がマウンティングする機会に使うのは不見識にもほどがある。
野田の街頭演説は上手だ。なにしろ、野田佳彦は財務大臣になるまで、月曜日は津田沼、火曜日は船橋など、毎朝、街頭演説を欠かさなかった。
これを美談として誉める人もいる。それ自体は結構なことなのだが、その代わりに野田が犠牲にしてきたものがあることにも目を向けるべきだ。
日課のように街頭演説をしていれば、夜遅くまで政策の勉強をしたり、朝の勉強会に出たりすることはできなかったはずだ。政治家の中で政策通といわれる人たちは、夜の席をほどほどに切り上げ、早起きしてかなりの時間を政策研究に充てている。その時間が野田にはなかったはずだ。
松下政経塾は「現場主義」を大切にする。そこでは、経済政策でどんな問題を解決すべきかを知ることはできても、どうすれば解決できるのかを知ることはできない。解決方法を知るには、まじめなデスクワークが不可欠なのであるが、その辺は政経塾のカリキュラムでも弱い。かといって、卒塾後に塾生たちがデスクワークに熱心に取り組んでいるかといえば、そうとも言い難い。
民主党は、1999年から2009年まで政策決定機関として「次の内閣」(NC:ネクストキャビネット)を設置していた。野田佳彦は2004年5月から2005年9月まで、影の財務大臣だった。
また、菅内閣では、はじめ財務副大臣、さらに藤井裕久の辞任を受けて大臣になったが、彼は財務官僚のレクチャーを受け、彼らの鮮やかな説明に魅せられてしまったのだろう。宗教でも何でもそうだ。頭のいい人がそれまでまったく知らなかった世界に触れると、すっかり洗脳されてしまう。
本来、経済政策というのは、自分で基礎から勉強した上で考え、さまざまな人の意見を聞き、自分の確固たる意見を持つべき分野だ。首相になろうというのであれば、それくらい当然であろう。