ユーチューブやオンラインミーティングの際の背景が本棚の写真になっている方が結構いますよね。あれは何を意味するかと言えば「自分はこれだけ読んでそれなりに自分の言い分には論理性がある」と言わんとしているのでしょう。リアルの本棚を背景にしている方も散見しますが、百科事典のような「蔵書」を本当に読んだのかはわかりませんが。

タイトルにある「読み倒し」という言葉が「公認」されているのか知りません。ネットでチラ見する限りは意味が推察できる言葉として使われているようです。使い方としては読破して読みつくすということのようです。

ずいぶん昔、山崎豊子を読み倒しました。あれは自分にとって「読める」という自信をつけたと思います。そこでその次に司馬遼太郎に手を付けたわけです。10年ぐらい読み続けて紀行史は別にして2巻以上ある長編はあと僅かを残すばかりとなり、現在は氏の作品でも非主流の方を読み続けています。面白いなと思うのは同じ作者を10年も読んでいるので当然、氏の得意とする戦国時代と幕末は話が重なってくるのです。すると「あぁ、この話、あの小説にもあったな」ということになり記憶がよみがえり、更に「そうそう」と思わず相槌を打ち、書いてある字ずらが非常に鮮明に「見えてくる」のです。これは不思議ですよね。

ところで司馬遼太郎の作品を批判する方もいらっしゃいます。人にはそれぞれ考え方がありますから何を言うのも自由ですが、私は歴史エンタメと私の未熟な歴史知識の補完として読ませて頂いています。例えば坂本龍馬が日本であれほど持ち上げられた背景の一つは氏の「竜馬が行く」ですが、それは竜馬像を作り過ぎたとされます。つまり歴史の事実話からすればいびつな取り上げ方だったのです。彼は脱藩藩士であり、逆立ちしても日本の英雄候補にはなりにくい、だけどそういう人に光を当てたというのが小説としての醍醐味なのです。

城山三郎とか高杉良といった作品も歴史上、あるいは経済史上の実話をもとに書いたものが多いのですが、事実としては陽の目を見なかった方々を小説化し、スポットライトを当てることでへぇ、と思わせるわけです。私がこの2人の作品で思い出深い本を上げよと言われたら「男子の本懐」(城山)、「官僚たちの夏」(城山)、「ザ ゼネコン」(高杉、これは自分が勤めた会社の会長秘書が主人公として小説化された。)をまず上げます。男子の本懐は面白くて3回ぐらい読んだと思います。