という両親宛の遺書を残して首を吊ったのです。
このように戦前にも合法・非合法を問わず様々な方法で徴兵から逃げている人もいましたが、とはいえほとんどの人は思うところはあったにせよそのまま徴兵に応じていました。
これは当時「徴兵に行ってこそ一人前の男である」という考えが強かったこともあり、合法・非合法を問わず徴兵から逃れることによって周りから冷たい視線を浴びたり馬鹿にされたりすることを恐れていたのです。
また当時は現在よりも共同体の力が強かったことも、人々からの制裁の効力を強めていました。
兵役から逃れるために軍隊式の教育を受けた小学校教員
余談ですが、戦前の小学校の教員は6週間の間短期現役兵として入営すればそれ以降は完全に兵役から免除されており、それゆえ兵役の負担を軽減するために小学校の教員になるものもいました。
またこの6週間の入営中も食事などの面で非常に優遇されており、教育界においても「この特典によって小学校教員になるものが増えるだろう」と予想されていました。
しかし当時小学校の教員になるためには師範学校(概ね現在の国立大教育学部の前進)を卒業しなければならず、そこでの教育は軍隊式でした。
そのため戦争に行くのが嫌で徴兵逃れを考えている人ならまだしも、軍隊式の生活が嫌で徴兵逃れを考えている人にとって小学校教員になるという選択が現実的なものであったのかは未知数です。
実際に当時の小学校教員の多くは師範学校での生活や優遇された軍隊生活によって軍隊的な価値観を内面化しており、暴力的な手法を学校で行うこともありました。
またそういった教員は自らが戦争に行くことはないのにもかかわらず「お国のために命をささげる」ことを子供たちに説いており、いかに欺瞞に満ちた存在であったのかが窺えます。