そのうちの一つが失踪であり、1890年代には6000人近くが所在不明になっていたのです。
そういった人たちは炭鉱労働者や港湾労働者といった身元があまりはっきりしていなくても何とかなる職業に就いて日銭を稼いでおり、各地の鉱山や港を転々としながら生活していました。
なお40歳になれば逃亡の時効がなくなるということもあって、こうした逃亡者たちは40歳を境に社会復帰をしていたのです。
また入営時に行われる健康診断にて、不正を行うことによって徴兵から逃れる人もいました。
金銭に余裕のあるものや軍医に知り合いのいるものは、軍医に賄賂を贈って徴兵不適格の診断書を出してもらったりしていたのです。
またそういったツテのないものでも、見えるものを見えないと主張して視力検査で悪い結果を出すことや、精神病のフリをすることによって徴兵不合格を勝ち取るものはいました。
さらにそんな小手先のテクニックで健康診断を偽装するのではなく、実際に体を傷つけることによって不合格を確実に勝ち取ろうとするものもいました。
具体的には数カ月前から食事を減らして体重を落とすことや検査の直前に2リットル近くの醬油の一気飲みをして高血圧を装うことといった可逆的なものから、人差し指を切り落としたりや暗いところで細かい字を読んで視力を落としたりするなど不可逆的なものまであり、様々な手法で徴兵から逃げようとしていたのです。
また中には徴兵から逃れるためにわざと錆びた釘を踏んで足に泥を付けて破傷風になったところ、片方の足首を落とすことになる人もいました。
こういった徴兵逃れをすることにより、命を落とすことになったものも少なくありません。
加えて中には「徴兵に行くくらいなら死んだ方がマシだ」と考えて、自殺する人さえいました。
実際に満州開拓少年義勇軍(日本国内の青少年を満洲国に開拓民として送出する制度)に参加していたある少年は、
お父さん、小さいころ、ぼくがよその子をなぐったら、いけないことだと教えてくれましたね。それが、いま戦争で、人と人が殺し合っている。なんの恨みも、憎しみもない人間同士がですよ。戦争に行けば、人を殺さなければならない。お父さん、そんなことが許されてもいいものなのでしょうか。それでも戦争に行くべきなのでしょうか。そんなことなら、ぼくは愛する満州の大地で、静かに眠りたい。